セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第4話:保健室は病院ではありません-いろいろ考え始めるきっかけになったある日の出来事-
この高校に赴任してしばらく経ったある日の午後。その日も蒸し暑く、じっと座っていても、首筋から汗が背中に流れていくのわかる。
同室の養護教諭のテスさんは、電気代は学校持ちだから、ワリカンでエアコンを保健室に入れないかとしきりに誘ってくるが、ちょっとその後のトラブルが読みきれないので、よくわからない返事をしてごまかす。
テスさんが、限りなく常温に近いコーラとマンゴーをおやつにくれた。どちらも、口の中が粘つくほど甘い。
そんな気だるい午後は一瞬にして修羅場に変わった。
まずは、校門のあたりから子どもたちが騒ぐ声が聞こえる。こんな騒ぎはいつものことなので、テスさんも僕も一切反応しない。それに大人の怒号が混じり始めたとき、テスさんが少し反応し始め、窓から校門の様子を伺い始めた。
一群の子どものかたまりが校門の方からゆっくりと保健室の方に移動してくる。塊の中心には数名の大人がいる。
このころには、テスさんの顔色はすっかり変わり、救護用のベッドに並べられていたおやつのマンゴーとか、ぬるいコーラやら、事務の書類やらをすっかり片付け、黒いゴミ袋を引き裂いて白いシーツの上に広げた。
一体何が始まるのやら、ぼさっと眺めている僕の前で事態はどんどん進行していく。
女生徒を抱えたガード(学校付きの警備員)と数名の教師が保健室に入ってきた。子どもたちも続いて保健室に入ろうとするが、テスさんと教師たちがが静止する。女生徒がベッドに寝かされる。
はじめは立ちくらみか何かかな?と思っていたけど、その女生徒の右足の脛の辺りから下を見てギョッとする。
足首から下がぐちゃぐちゃ。内側のくるぶしの辺りから骨が出ている。女生徒はもう泣く気力もなくて、目を閉じてじっと痛みに耐えている。
ガードと教師たちは、何でこうなったのかとか、運転手はどこに行ったのかと興奮してまくし立てる。この女生徒は生徒が乗り降りしているジープ(乗り合いバス)の後輪に巻き込まれたということだ。もちろん、ジープはそのまま走り去ったらしい。
大人たちがパニックを起こしかけている中、こういう事態に少しは耐性のあるテスさんが親を呼ぶことを担任の教師に指示し、女生徒のぐちゃぐちゃになった右足首を診ている(いや、見ている)。
出血はひどくなさそうだが、もちろん、ここでは手の施しようがない。
ここは保健室。病院じゃない。
テスさんは、その右足首を黒いゴミ袋で包むと、ガードに彼女を自分の車の後部座席に乗せるように指示した。このあたりでは、緊急の場合は救急車より、自分で病院に駆け込んだほうが早い。
そうこうしているうちに、この女性との父親だという男性が保健室に到着する。父親はビニールの端をつまんで娘の右足をチラッと見て、眉をひそめた。短パンにランニングシャツ、ビーチサンダル姿のいかにも貧しそうな父親はおそるそる言う。
「先生、大丈夫です。娘は引き取ります。ありがとうございました。」
テスさんが言う。
「大丈夫ってアンタ、ちゃんと病院に連れて行くんでしょうね!」
父親が言う。
「はい、連れて行きます。とりあえず家に連れて帰ってから。」
よそ者の僕でもわかる。この父親は病院には連れて行かないだろう。この貧しい身なりでは絶対に連れて行けない。
「アンタ、この子は返さないからっ!私が病院に連れていくから家で待ってなさい!」
父親は、ほっとしたような表情を隠しつつすまなそうに言う。
「サンキュー、マダム...」
父親は他の教師の案内で職員室で待つことになった。テスさんはそのあとすぐに、後席に女生徒を乗せ、数人の教師とともに病院に出発した。
それから、その場に居合わせた大人の間でどこからともなく紙の箱が回り始めた。すでに箱の中にはくしゃくしゃになった紙幣がいくつも入っている。女生徒の治療費のためのカンパだ。もちろん、父親に治療費が払えるわけがないことをみんなわかっている。ただし、それでも足りない。残りはテスさんの自腹。
僕も数枚の紙幣を入れ、そのお金を別の教師が病院へ持ち込む。
こんな騒ぎが、そう多くはないけども、3年の滞在中に数回はあった。テスさんは何とも言えない顔で、「その度にカンパじゃ、どうしようもない」と嘆きつつも、かと言って見てみぬふりもできず、何かあるたびに自腹で生徒を病院に担ぎ込む。
お昼ごはんが食べられない生徒のために僕が箱買いして机の横に置いておいたカップラーメンを盗み食いするテスさん。だけど、彼女はその何十倍、何百倍ものお金を生徒の治療費のために使っていることをこの日初めて知り、ラーメンくらいなら仕方ないと思うようになった。
こんなひどい事故にあっても、自分の娘を家につれて帰るという父親。そうはさせずに、自腹で病院に連れて行くテスさん、治療のためのカンパをする教師たち(ちなみにこのテスさん、コンドミニアムを外国人に売りさばく副業をしていて実は懐が暖かい。そして、外国人の僕。この2名を保健室に配置することには、校長の何かしらの意図?があるのかもと思う)。
で、こんなところで日本語を教えている自分は、一体なんなんだろうか?
何のために、どうして生徒は日本語を勉強しないといけないのか?
日本語よりも先にやることがあるんじゃないだろうか?
この日の出来事を境に、いろいろと考え始めました。
病院で治療を受けさせ、生徒を家まで送り届けたテスさんが、車(ニッサンのピカピカのやつ)の後部座席が血で汚れたといってぼやいてる。テスさんが続けて言う。
「複雑骨折で全治6か月。しばらくは松葉杖生活ね。」
僕は、もう足がなくなっちゃうのかと思ったけど、意外に軽くて?びっくり。
この女生徒、きつい傷跡は残りましたが、確かに半年後くらいには涼しい顔して歩いてました。おそるべし生命力というか治癒力。この件にだけではなくて、保健室で見た結構きつい傷病を受けた生徒が、その後ピンピンして走り回っている姿を幾度も目にしました。
確かに、これぐらいじゃなければ、校区の約南半分がスラムであるこの地区でまともには育ってはいけないだろうなあと、変なところで妙に納得する。
それが良いかとが悪いことかは別として、さすがこの地域で高校まで生き残ってきた生徒たちの元気のいいこと。
日本語の授業でもそれが遺憾なく発揮されます。
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