三十路で独女、彼氏いない歴=年齢だった私が、南半球でメタモルフォーゼする話。

まず始めに誤解を恐れず言うと、これはサクセスストーリーなどではありません。

それでも同じように悩み悶々とした日々を送っているだろう多くの三十路独女に届けとばかりに一方的に書き残したいと思います。

これは記憶であり、記録であります。

30歳目前にして私は悩んでいました。悩むというレベルを超えて病んでいました。ただ表面上は変わりなく日常生活を送り、差し障りのない人間関係の中で時間だけが過ぎていました。

『このままではいけない。変えなくっちゃいけない。』

自分の心の声がどんどん大きくなり、無視できない領域に達した時、私は決めました。

『そうだ、ニュージーランドへ行こう。』

新幹線に乗って京都へ行く代わりに、飛行機に乗って南半球まで来ました。

期限は1年。2010年1月、ワーキングホリデービザでの入国でした。

ワーキングホリデービザの特徴は、とにかく自由がきくことです。通常海外で就労するためには、就労ビザが必要になりますが、ワーキングホリデー(以後『ワーホリ』とします)ビザならば、職業の制約なしにどこでも働くことが可能です。また語学の向上のため現地語学学校に通うこともできますし、もちろん1年間旅行し続けることもできます。最近では、大学就学中に1年間休学してワーホリに来る若者も多くいます。逆にワーホリビザ発給ギリギリの三十路過ぎてワーホリに来る事を『ギリホリ』と呼んだりします。私はまさにギリホリで滑り込み入国でした。

選んだ都市は、クライストチャーチ。

ニュージーランドには北島と南島があります。最大の都市オークランドや首都ウェリントンがあるのは北島。クライストチャーチは南島最大の都市ではありますが、オークランドと比べると格段の差があります。それでもこの都市を選んだのは、自然が多く人が少ない事と、日本から唯一連絡を取っていたニュージーランド人の友人がクライストチャーチ在住で勧められたから。

到着してみると夏ということもあり、なるほどこじんまりした市街地にはたくさんの花々が咲き乱れ、芝生の緑が目に鮮やかで、『あぁー、海外に来たんだなぁー。』と感慨もひとしお。

誰も知らない。何も計画がない。しがらみも、これまでの過去も自分の意思で塗り替えられる。

いきなり目の前に現れた真っ白いキャンバスにどんな色でどんな絵を描くのか。ワクワクしますよね。


結論から言いますと、、、

人間そうは簡単に変わらない。


三十路で独女。日本の現実から逃避してきた私の様な人間が、住む場所を変えたところで根本的に変わるわけもなく。。。ワクワクよりも孤独感や焦燥感に苛まれて、ワーキングホリデーのホリデーを楽しむよりも早くワーキングしなければ!そして自分の居場所を見つけなければ!という環境順応能力が力を発揮して、ワーホリメーカー御用達の定番ワーキング=ジャパニーズレストラン(ジャパレス)に就職することになりました。2010年3月の始めのことです。


ここで、運命の転機を迎えることになるとは予想もしていませんでしたが、振り返ってみるとここでの経験が私の『いま』を形成する上で欠かせない要素であることは避けられない事実です。


そんな運命の転機については、次回詳しく綴りたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

著者のTaki Poppyさんに人生相談を申込む

著者のTaki Poppyさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。