高木教育センターのありふれた日々(15)

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  大学を卒業後、下に示すようなチャレンジを連続的に試みた。それをブログや動画にアップしたのだ。

  I’ve reached this pointafter many twists and turns.  I wanted tobe a top-ranking teacher anyway.

  • とりあえず「英検1級」

    26歳でアメリカから帰国したら、いきなり失業した。貯金なし、資格なし、彼女なし。それで、実家にもどって塾をやるしかなかった。親戚に頭を下げて、親の土地と家を担保にして銀行からお金を借りたので返済に必死だった。

    英検1級だけでなく通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級なども受けた。集客になりそうなことなら、何でもやろうと思った。でないと、つぶれて家族に迷惑をかける。子供が生まれたから、死に物狂いだった。

    英検1級の賞状

      Justafter I came home, I was a man of no job, no saving, no certificate and no girlfriend at the age of 26.  I had no otherchoice but to have my own school in my hometown living with my parents.

     

  • 有名校に勤務するといいかも

    当時は、授業中に

    「学校の先生は違うことを言った」

      と、よく言われた。私の教えた内容は信用がなくて、学校の先生は絶対的に信用されていた。

    「しょせん、肩書きか・・・・」

    それで、名古屋の「コンピューター総合学園HAL」「河合塾学園」「名古屋外国語専門学校」などに履歴書を送って、非常勤講師を始めた。

    肩書きがあれば、少しは信用が増すかもしれないと期待したのだ。

      Sometimes my students said

    “What you said isdifferent from what myy public school teacher told us.”

      My students trusted only public schoolteachers but not me.  That let me thinkthat I should work for famous schools in Nagoya.  It might help me to be trusted by mystudents.

  • やっぱり、東大や京大でないとダメか

      その頃に、四日市高校「国際科」に合格した子たちが

    「高校に進学しても指導をお願いします」

      と言ってくれた。彼や彼女には、アメリカの経験、英検1級、河合塾学園などの指導経験でも不十分だった。受験英語と、本物の英語は違うと知っているのだ。

    「やっぱり、東大か京大か」

     それで、50代で高校生に混じって京都大学を受けることになった。合格できる学力があることを成績開示で示すしかないと思った。

    京大の成績開示(英語8割、数学7割正解)

      At that time, some good students who passed theentrance exam to the top high school asked me to teach them after entering thatschool.  My experience in the U.S. andfamous English test’s certificate didn’t have any meaning to them.

    “Todai and Kyodai・・・・”

  • 広報が足りないのかもしれない

    その頃に、バブルが弾けるし、少子化で地元の中学生は減るし、大規模塾が隣町に進出してきてトリプル・パンチだった。子供が大きくなり、仕送りや授業料の支払いで大変で先行きが見通せなかった。

    それで、ネットの普及に合わせて、ブログ、動画、ホームページなどで自分の活動を広報してみた。動画は38万回再生。ランキングは「受験生」で1位になった。

    アメリカの経験、英検1級のこと、名古屋の指導経験などを書いた。

      Then becauseof the collapse of the bubble economy, the decrease of children and a bigschool opened in the next town, I had a difficult time but I had to support mychildren.

    That is why I started writing blog, uploading video clipsand homepage.  More than 380000 peoplewatched them.

  • 合格実績がものを言うのかも

    講師が一流だと言われるのは、指導した生徒が難関校に合格するからであって、本人の学力ではない。そこで、指導に専念して京大医学部、阪大医学部、名大医学部などに合格者がでた。

    Why do people call a teacher the best one?  In my view, they say he or sh is good whenstudents whom the teacher taught passed the entrance exam to good schools.

      その頃、当塾にはA子ちゃんがいた。恵まれた家庭環境ではないことが分かっていたし、

    「何としても合格してもらう」

     と、思っていた。

      確かにビジネスは“give & take” なのだが、塾といえども「教職」には違いない。利益の追求だけでは成立しない。

    Z会は全国どこでも受講できるし、ここは三重県の北部だから、名古屋の河合塾に通える。当塾を選んでもらうにはZ会や河合塾・駿台に勝たなければならない。

    It is true that running my own school is my business butit is not only a business.  I really wantto help him or her to pass the difficult entrance exams.  My competitors are now famous big schools.  Without winning the race among privateschools, my school cannot get good students.

     

     

     

     

    集約すると、

    「この採点官は誰で、この減点やら採点の基準は本番どおりなのか」

     受験生の疑問、要望はこの1点。そこを解消すれば、Z会や河合塾に勝てる。

  • 自分で京大を7回受けて採点基準を調査し、

  • 冊子で模範解答を見せるのではなく個別で減点理由などの質問を受け付ける

    そこで、上記2点を実現させるシステムを作った。

     こういう現在進行形のできごとを、正直にブログに書いた。動画で語った。本当のこと、実際に経験したことばかりだから臨場感もあるのだろう。

    What examinees have to know and want to know is

    “Are the trial tests held by big schools the onesthey can trust?  Who is checking it?  Do they know the real checking criteria?”

  • I have taken the real entrance exam to the University of

     Kyoto 7 times and check the criteria.

  • I accept any question my students have about their

    checked answer sheets as many times as they like any

    time.

    That is what I‘m doing now.

    アメリカでの生活も、英検1級も、京大を7回受けられたのも、全て「運がよかった」と思っている。テロのない平和な世界で、日本はバブル時代だった。そんな時代でなければ、アメリカ生活も、銀行融資も、完済もありえなかった。

    そんな、幸運なハッピーストーリーだから多くの方に読んでもらえるのかもしれない。

    I’ve very lucky having a chance to live in the U.S.,passing the 1st grade Step test, sitting for the entrance exam toKyoto University in a peaceful world.  Icould pay back my loan in bubble economy.

    People might like my blog because most of them are happystories.

     

  • 第百四十二章

    「塾、予備校はどうして存在しているのだろう?」

    エピソード(1)

    教師に人格者と呼べる人はほとんどいません。真面目に教育をしたくて教師になった人など極一部の人間だけですから。僕自身、小中高合わせても尊敬できる教師は1人しかおりませんでした。その他の教師は、自分の価値観を子供達に押し付けて、自己満足に浸っている人間の集まりでしたので、学ぶ事は何一つとしてなかったです。

      長年生きてきた受験指導業界だが、どうして存在しているのか疑問に思ってきた。アメリカの社会にはほとんど存在しなかった。もちろん、日本のどの町にも塾があるのは、学校が機能不全に陥っているからだ。

      では、なぜ学校が機能不全に陥っているか。それは、人々に信用されなくなっているかだ。私が、

    「それは学校の先生に尋ねたら」

      と提案しても、

    「学校の先生は嫌い」

     とか、

    「学校の先生は学力不足」

     とか

    「進学情報など、ぜんぜん教えてくれない」

     と、不平を漏らす子が多い。だから、塾の先生に親しみを感じ、解けない問題の解き方を尋ね、何番くらいならどの高校に合格できるか尋ねてくる。

    エピソード(2)

    小5~6の時は、クラス全員の前で私の体重を発表後、「こういう人のことを 肥満と言います」って言ったり、運動会前に走るのが遅いことを理由に、放課後居残りで一人だけ校庭を走らされたり、体育の球技なんかで私のいる チームが負けるとお前のせいだと罵られた。 他の生徒に対してのえこ贔屓も酷く自分の気に入らない生徒は徹底的に罵り、私にしたのと同じようなことをして、お気に入りには褒め称えて、通知表は
    いい評価ばかり。
      あれは今思えばたんなる教師によるいじめだった。
      おかげで私は高校で本当にいい先生に出会うまで全ての教師と言う人間に
    大して強い不信感を持つようになりました。

      それは、受験業界が信用されている証拠で、商売繁盛につながるわけだが、社会全体として良いことではないと考えている。なぜなら、塾や予備校は有料で、お金がない人には利用できない。

      貧乏な人の子にも有能な子がいる。金持ちの子にも馬鹿な子はいる。

      学校がダメな理由はいろいろある。たとえば、三重県では極左組織の「日教組」が日本一の組織率を誇っている。ほぼ100%。したがって、左翼でない人はそのような職場環境に入りたがらない。

      日本全体の左翼の勢力は選挙を見れば分かるように2割以下だ。これは、

    「三重県では2割の人材の中から教師のリクルートを行っている」

      ということ。これでは、良い人材が集まるわけがない。

  • 三重県の教師を世間なみの左翼教師2割以下に抑える。

  • クラブ活動を自由化して、学校にしばりつけない。

  • この2つは、緊急に実施する必要がある。

    エピソード(3)

    先生は机の周りで、取り巻きに対してこう言っていた。 「今回のテストで100点だった奴が2人いるの。でもその2人、勉強はできても人間性はダメ」 ・・・先生、こっちまで聞こえてるんですが。私は「100点なんかいらない!」って言って泣いたよ・・・ それに気付いた先生は、「あらあらどうしたの~」なんて言ってこっちにきたけど、  真剣に聞く気がないのは一目瞭然だったし、私も何も言えなかった。
      ちなみにもう一人100点だった子にも、上記の会話は聞こえていたと思う。 その子も私ほどじゃないけど先生に嫌われていた。彼の心にも、きっと大きな傷が残ってるんだろうなあ。

      高校からは選抜されるので、授業が成立する。しかし、中学校では授業が成立しない。メジャー級の選手と、草野球の選手が同じ練習メニューでいいわけがない。どうしても、同じ授業、同じ宿題というのなら、できるだけ早く学校から帰してやって自由にさせるべき。

      無理やり同じ教室に閉じ込めるから、イジメも起こる。

      そういう対策を次から次へと打たないと、中学校は近いうちに崩壊すると思う。国鉄はJRへ、電電公社はNTTは、郵便局も国立大学も国から切り離す方向に動くのは、なぜか。

      それは、公務員制度にしておくと組織が硬直化して腐敗していくからだ。中学校も同じこと。

    エピソード(4)

    高校の頃の話。有名進学校に少し無理して入ったんだけど、高1のときの数学教師が意地悪で数学の苦手な人に答えられないような質問ばかりする人だった。理系科目のセンス皆無だった自分はその先生に嫌われてて毎回授業の度に当てられ
      わからないで考えてると「こんなの簡単だろ」「普通に勉強してれば解ける」っていつも言われた。
    悔しくて数学はかなり努力して毎回平均点以上取ってたのに授業でその先生に当てられると後で考えれば簡単な質問にも答えられない…
      今も「普通はできる」「簡単だから」とか言われるとあの頃の教室の沈黙が鮮明に
    フラッシュバックして怖い。

     

      塾や予備校は、生徒や保護者の支持を失ったら閉鎖に追い込まれる。だから、絶対に学校の教師のような傲慢な態度はとれない。嫌われたら倒産する。全員に好かれるのは不可能だから、ターゲットを絞って支持されるために全力でいく。生活がかかっているのだ。

     ところが、絶対につぶれない中学校など「日教組」の強い地区では左翼教育が盛んで、戦争反対の教育ばかりする。その結果、生徒がどういう被害を受けるか考えていない。自分の主張だけが大切なのだから。

      塾業界に生きるものとしては、こういうムチャクチャな学校がある限り生徒の支持が塾講師に集まるので喜ばしいことだろうか。

    エピソード(5)

    中学生の時に戦争映画を授業中に見ました。映画というよりも、映像でした。とてもグロい表現があり、今でもトラウマです。内容は中学生向けではありませんでした。泣いてる子もいました。(戦争に対するもではなく、グロさに)今でも夢に出てきたり、グロいものを見ると吐き気とめまいがします。この教師は何がしたかったんでしょうか?

      私は「教育学部」出身だから教師に知り合いが多い。長年、受験指導に当たってきたから知り合いの多くは教育関係者だ。だから、教師に幻想など抱いていない。平均的な人より非常識な人が多い。

      社会で働いた経験がなく、職場はいつも自分より経験値の低い生徒たちだから傲慢になりがち。しかも、公務員で身分が絶対的に安定しているので自己研鑽に励む人が少ない。危機感などありえないのだろう。

      ◆バカ教師事件簿ランキング
    【1位】女子生徒の下着で験担ぎをした教師
    ’10年。長野の吹奏楽部顧問が女子生徒の下着を験担ぎのために持ち帰り懲戒免職
    【2位】盗撮画像をダシに人生をかけて告白した教師
    ’09年。仙台の男性教師が女性教師のトイレを隠し撮り、画像を見せ交際を迫り懲戒免職
    【3位】好きと言われて断れずモテない教師が淫行
    ’09年。大阪府の男性教師が中2女子から「好きと言われて火がついた」結果、性行為
    【4位】性欲に負けた買春教師が支払った8000円
    ’11年。横浜の小学校教師が17歳少女に現金8000円を渡し、淫らな行為を働き逮捕
    【5位】盗撮が見つかりSDカードを噛んだ教師
    ’13年。スカート盗撮がバレた愛知の教師が警備員に噛みつき、SDカードも噛み砕く

     

      四日市高校にしても京都大学にしても、チェーン店方式などありえない。一点もの。現実的に考えて、「良い指導者」「良い生徒」「良い学習環境」をそろえようとしたら、1県に1つでも困難だ。

      各町ごとにある中学校など、指導できる人材も集まらないし、まともな生徒を集めることも出来ない。良い学校を作れる条件など最初からそろっていないのだ。

      塾も同じことだ。80教室、100教室なんて、無謀もいいところ。そんなにマトモな講師がいるわけないし、まともな生徒がいるわけないのだ。ここ「いなべ市」は特に過疎化が進み人口が減っていく。

     隣の「桑名市」と比べたら人材難は否めない。これは、以下のデータを見ても分かる。私の勝手な意見ではなくて、客観的な事実なのだ。

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