偏差値39の女生徒が、半年後アメリカの大学生になるまでの道のり

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そして、受験を6月に定めたのです。


「いいかい、年3回の受験が出来る。だから、リラックスして受けるんだ。決して、浪人することがないから。一浪して、青山学院を受ける同級生より早く、大学生になれるから。いいかい、あなたは、アメリカの大学生になるんだよ!」


彼女の目は、マジだった。本当に、「狙っている鷹の目」だった。


半年は、すぐにやって来ました。


6時間x150日=900時間


よくやったと思います。





受験当日、お母さんとM子さんは、南麻布のテンプル大学へ向かいました。ドキドキの2人でした。


テストは、それほど難しくはなかったと言っていました。そして、面接では、難しい質問が出たそうです。それでも、私が言ったとおりに切り抜けたのです。


そして、合格発表の日が来ました。


「お母さん、もし郵送物が来て、中身が厚かったら合格です。薄かったら、不合格です。」


事前にそう言っておきました。


そして、郵送物が来たのです。お母さんは、開くのが怖くて、私に電話して来ました。


「西條さん、来ましたよ。」

「厚いですか?」

「ええ、厚いです。」

「では、合格ですね。」

「でも、怖くて開けられないんです。こんなの初めてだし。でも、開くまで信じられないし。」


ドキドキのお二人の姿が、はっきりと想像出来ました。


「心配しないでいいですから、ゆっくりと開いて下さい。」


それから、お母さんは、おそるおそる郵便物を開いたのです。


そして、合格の文字を見たのです。


「ぎゃー〜〜!!!」


お母さんとM子さんは、玄関で固く抱き合っていたそうです。飛び上がったりの大喜びだったのです。


そして、M子さんは、テンプル大学へ入学したのです。


最初は、英語集中コースで、英語を鍛えました。そこでの勉強は、想像を超えた厳しい内容でした。


何度も、電話をもらいました。


「西條さん、私、辛くて仕方ないの・・・全然授業が分からなくて・・・西條さんに言われたとおりに、英英辞典で勉強しているし、今でも6時間も勉強していても、さっぱり授業で理解出来ないし…苦しいの・・・」


「M子さん、もう大学生なんです。だから、分からないことがあったら、直接先生に『分からないから、分かるためにはどうすればいいか』って聞いて下さい。分からないことがあるのは、決して恥ずかしいことじゃない。分からないから、学校で学ぶんです。そのための学校です。あなたが学ぶために、学校があるんです。だから、遠慮なんかしないで、ドンドン質問しなさい。それが、優秀な学生の証拠です。アメリカでは、そう言う学生を高く評価するのです。


そして、クラスで優秀な人と友達になりなさい。そして、一緒に勉強しなさい。」


それから、M子さんは、その通りにしたのです。


そして、見事自分の壁を越えて行きました。


あんなに勉強したことがないM子さんが、渋谷の町をクラスメイトと歩いていると、男の子が声をかけて来るそうです。


「ねえ、どこの子?」

「テンプル・・・」

「ええっ、(やばい)・・・」


そう言うと、男の子がさっといなくなるそうです。


「テンプルの子」「Tの子」と言われているそうです。


M子さんに取っては、「優越感を感じる」瞬間なのです。


それから、M子さんは学部課程に進んで、2年間学び、準学士号を取りました。そして、20歳の若さで、化粧品会社のマネージャーとして採用されたのです。





数年前まで、鉛筆を転がして試験を受けていたM子さんが、いまではアメリカの大学を卒業して、社会人として堂々と生きているのです。


人生の選択肢は、限りなくあります。


そして、どれを取るかは、人それぞれなのです。


そして、出来れば、その人にふさわしい選択肢を見つけて、つかんで頂きたいと願っています。


ここまでお読み頂きまして、ありがとうございます。


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