憎しみをもって生まれる赤ちゃんはいない~憎しみの根源は深い悲しみ~
世間を憎んで生きる人がいます。
それは犯罪者だったり、いじめにあった人だったり、親から否定されて育っていたりー。
私は、両親はピーターパンのような父親、自分しかみえていない母親、かわいい息子のどうしようもないところを責任とらせず全部代理でやる過保護な祖母、博愛の優しすぎる祖父、病弱で何してもできなくて祖父母に何をしなくても守られた私に、その私にコンプレックスを抱き、選ばれるために成績優秀で、なんでも手伝う妹。大手とか、勝ち組と呼ばれるものを無意識で批判するようになった弟。
私はなにしても不器用で、なかなか要領よくできなかったために、気の強い子に奪われるばかりで、しかも取り返すこともできなくて、それをあろうことか、気の強かった妹が守ってくれたり、弟がかばってくれたり、祖父が守ってくれてました。
大人になってから、妹と喧嘩したときに、妹がはじめて泣きながら弱音をこぼしたことがありました。
「私だって・・・他のこと同じように、お姉ちゃんに甘えたり、守ったりしてもらいたかった・・・。」
愕然としました。
私は、してもらうばかりで、「恩返し」していたのかなと。
時々、妹や、弟、いとこや友達に意地悪なことを言われたりされることもありました。
だけど、意地悪してしまう、憎んでしまう、その根底にあるのは
「私も愛情が欲しい」
というシグナルでもあったんだと気づきました。
知らないうちに弱いことをアピールして、祖父を独占していたし、姉としてやるべきこともやらないで
ずるい、ように見えたんだと。
犯罪者も、環境であったり、虐待をされてきたりして、心が正常に育っていないために
無意識で、愛情をくれなかった母親、世間など、対象が拡大していき、不満が内面から外側に向かうとそうなるのかなと思いました。
憎しみのパワーは、計り知れないです。
戦争だってそうです。まず、攻撃があって、誰かが亡くなって、亡くなった人の家族や恋人がまた憎しみをむけて、延々と連鎖が続いていく。
もちろん、簡単に許せということではないし、それは私もできないと思うけど
償い方や、犯罪者の心のひずみのようなものを回復していかないと、繰り返すような気がします。
母親になって思うのは、みんな「初心を忘れていく」のかなあと思いました。
たとえば、今、あなたに喧嘩している友人がいたら?
離婚を考えている相手がいたら?
最初から、「憎んでいましたか?」ということです。
はじめは大好きだったと思います。途中過程で嫌いになったり、なにか自分自身が傷ついて、相手を憎むようになっていくのだと思います。
自分が幸せじゃなくなった途端に、相手に意地悪をしたくなってしまいます。
そこで、意地悪するのをぐっとこらえられる人間と、その感情に負けて、意地悪してしまうかだけです。
江原啓之さんの本の言葉で「幸せな人は意地悪しない」という言葉で私ははっとしました。
犯罪者も、虐待者も、「幸せならしなかった」のかなと。
現代は便利です。
インターネットやSNSで簡単に人とつながることができます。なのに、犯罪は毎年増えています。便利になればなるほど、増えているという不思議。
不便で、人と人が手紙や会いに行っていた時代よりも、犯罪が多いのは、みんな「心が乾いている」のではないかなと思います。
ふれあうこと、話すこと、会いに行くこと。
私がもっとも苦手としていることです。けど、母親になってやらざるを得なくなって、交流は必要なことなのだと実感しました。
犯罪者も、喧嘩した人も、意地悪なひとも最初はみんな赤ちゃんで。
誰も憎んでいなくて、それが環境や、人との出逢いで運命が別れていく。
対処療法ではなく、根底からみつめていくことが大事な気がします。
「幸せになる手取り早い方法は、憎しみを手放すこと」に他ないと思いました。
自分で自分をいじめている。憎しみ続けるのは、結構しんどいです。
私は、まず、妹のためにも頼れる姉になろうと思います。
著者の館花 琴音さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます