第百六十章 いい人でなんかいられない!

第百六十章

「いい人でなんかいられない!」

 若い頃は、自分の失敗は自分が引き受ければすんだ。しかし、自分で塾を開いて土地を買って塾の建物をたてる時にそれでは済まないことを知った。若造に融資してくれる銀行などない。だから、親の土地と建物を担保にしてもらった。

 もし、自分が塾経営に失敗したら親の土地も建物も取り上げられる。路頭に迷わせることになりかねない。利子も含めて億の単位のお金を背中に背負っただけでも重いのに、

「えらいことになった!」

 と思った。

 子供が生まれた時もそうだ。もし、自分が破産したらこの子供たちが食っていけない。生きていけない。小学校、中学校にあがった時も

「もし、自分が倒産したら子供たちが同級生からイジメられるかも」

 と必死の思いが募った。

 だから、英検1級にも挑戦したし、京大を7回受けたし、コンピューターの操作にもチャレンジした。英語だけではなくて、理科、社会も勉強した。高校生の英語も数学も勉強した。やれることは何でもやった。

 そのための時間を確保するため必死だった。寝る間も惜しんだ。どんな細切れの時間も有効に使おうとした。だから、アポなし訪問は迷惑だった。

 そんな時に、月謝の督促や、壊された備品の修理や、クレーマーの保護者の応対をすることは、本当に時間の無駄に感じられた。今は真面目な生徒たちばかりなので、そんなムダな時間がなくなったので助かっている。

「A問題集とB問題集とどちらがいいですか?」

「朝型勉強と夜型勉強とどちらがいいですか?」

「何を食べると受験勉強のためにいいですか?」

 こういう質問も苦痛だった。どうでもいいことだからだ。そんなことは、どちらでも大差ないし、自分でやり始めないと分からないのだ。相性があるから。

「払った月謝だけ成績をあげろ!」

「娘が帰り道でスカートをまくられた。何を教えているんだ」

「てめぇの塾なんか潰すの簡単だぞ」

 このような保護者の相手をするのは、全く時間の浪費だった。

 私は学生時代に受験勉強をする過程で、こういう時間の浪費を自分の生活から徹底的に排除する癖がついていたので、

「そんなことは、どうでもいいこと」

 とハッキリ言い、またモンスターペアレントには怒鳴りつけることもあった。とても、

いい人ばかりではいられない。

そんな時間はない。徹底的に時間を有効に使って、英検1級に合格し、英語以外の教科も指導できるようにし、京大を受け成績開示をし、指導範囲を横にも縦にも広げないと倒産する。

 倒産したら、手助けしてくれている親に迷惑がかかる。子供たちの生活を守ってやれない。

 そこに至って、初めて織田信長の気持ちの一端が分かった。目標達成のためになら何でもやる。そういう哲学が必要だったのだろう。

母は昔の人間だから節約志向が強い。

「こちらは3円安い」

 と繰り返す。しかし、私は億のお金の返済で頭がいっぱいで3円のことで頭を使ったり時間を使うヒマはない。

「そんなことは、どうでもいいから静かにしてくれ!」

 と何度言っただろう。もと奥さんも理解してくれなかった。しかし、時間をダラダラ使って生徒の気持ちをつかみ損なったら返済が滞り、たちまち倒産する。土地はすぐには売れない。

 リアルに夜逃げや自己破産が感じられた。

「冷たい人」

 と呼ばれても構わない。一家離散よりマシ。

 そういう必死な思いで生きていると、同じように必死に勉強している優秀な生徒と共感する部分があるのだろう。優秀な生徒がたくさん集まってもらえた。

 別に特別なテクニックを使ったのではない。

「先生、寒い」

「なんで、エアコンの近くに座るの?」

「トイレに行っていいですか?」

「授業前に行っておけ」

「何言ってるのか分からない」

「キミのトイレに合わせるわけにはいかんだろう」

  塾を始めた頃は、こんな授業ばかりだった。時間の無駄ばかり。もちろん、そんな基本的な生活習慣は、中学生では直すのは手遅れ。それで、そういう生徒は塾をやめてもらった。

  すると、

「アホは教えんのか!」

  と、罵声が飛んだ。いい人でいたら、真面目な子たちの授業が犠牲になる。寝る間を惜しんで勉強している子の授業を、ダメな生徒のオシッコの犠牲にできるわけがない。

  嫌われても、誹謗中傷を受けても、真面目な子を守らなくてはならない。そう覚悟をした。

  私は名古屋、刈谷、四日市、桑名、いなべ市、アメリカなど、いろいろな場所で指導させてもらった。そのうち、塾の場合、

「成績や素行の悪い子が入ってくると、しばらく後に成績の良い子が塾をやめる」

 という現象に気づいた。自分の塾でもそうだった。今は、その理由がよく分かる。1分、2分を惜しんで勉強している子は、不勉強な生徒や素行の悪い生徒によって5分、10分と時間が浪費されることに耐えられない。

  塾は出入り自由だから、はっきり現象として現れる。学校はやめられないけれど、

 

「成績の良い子、悪い子。素行の良い子、悪い子を一緒に学ばせるのは悪」

 

 この事実には変わりがない。塾のように選択できたら、落ちこぼれ中心に指導している学校からは真面目な生徒が全員退場するのは間違いない。「強制的」に同じ教室に入れるのは間違い。

「何を言っているんだ!人間を学力や素行で差別するな!」

  とエキセントリックに叫ぶ人もいるだろうが、それは真面目な子を逆差別しているだけ。自分だって、暴力団やヤクザには近寄らないくせに。自分だけ安全な場所にいて、中学生や高校生にきれいごとを言っても通じない。

  人を裏切り、踏みつけにして生きてきたくせに、生徒には「愛」だの「絆」だの、いい人ぶりっこするから信頼を失う。戦国時代に規律を持ち込もうとしたら、織田信長のように「いい人ばかりではいられない。

  生徒もバカではないので、「いい人」が嘘つきであることくらい見抜いている。世の中に、そんな聖人君子なんているわけないじゃないか。

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。