「高い所には登るな」が一族の隠れた家訓だった訳

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あれはまだ、四月二十九日が天皇誕生日だった頃の話。


昭和五十二年、四歳だった時のこと。

テレビでは、伊東四朗さんと小松政夫さんが出てた番組に《電線マン》という人気キャラクターがいて、電線音頭なる歌が流行っていた。

四歳の記憶を、なぜこんなに鮮明に覚えているのか、それは、その電線音頭をある場所で踊っていて、転落してしまったから。

当時、近くの市町村会館で、四月二十九日の祝日に《ちびっこ映画祭り》というのをやっていて、ドラえもんの映画が上映されるというので、近所に住んでいた年上の友達を誘いに行った。

友達
お母さんが、着替えの服を用意してるから、ちょっと待ってて。呼ばれるまで遊ぼ
うん


それで、石で出来た門柱の上に乗って、電線音頭を振りつきで歌ってた。

ちゅちゅんがちゅん
ちゅちゅんがちゅん
電線にスズメが三羽とまってた

どの辺まで歌ったのかは記憶にない。

1.2メートルほどある門柱から足を滑らせて、道路に頭から転落して、気絶していたから。

私の転落事故を聞いた母は、すぐに父に電話をして、私のことを知らせた。

近所の目を気にした父から、救急車を呼ぶなと言われた母は、耳から血を流して意識のない我が子を車に乗せて、医大まで走った。

医大に着くと、あちこちの科に行く必要があって、私を抱いて走り回ったらしい。

診察の結果は、頭蓋骨骨折、右腕骨折、右鎖骨骨折、全身打撲。


医師
やれることは全てやりました。
今夜が山場でしょうが、病院でというのもかわいそうなので、連れて帰ってあげてください。
なんとか入院させてください
医師
手は尽くしました。
もう、やれることがありません。

要するに『夜にはもう、息を引き取るだろう』という見立てで、骨折したまま、包帯を巻かれたほどの処置で家に帰された。

その夜のことも、よく覚えてる。

意識が戻っていて、夜にも関わらず、知り合いのおじちゃんやおばちゃん達が次々に尋ねて来るものだから、何事だろうと思っていた。

いつもと違って、夜遅いのに起きていても叱られないし、いつも怒ってばかりの母も怒らないし、お祭りの夜みたいに楽しくて、ワクワクしてた。

サービス精神旺盛で、おしゃべりだった私は、疲れたなって思うほど一人で一生懸命話していて、「落ちたのが、妹や従兄弟だったら大変だったね、落ちたのがあたしで良かったね」みたいなことも言っていた。

そんな中、時々、右の耳の奥がきゅーーーっと痛くて、そうすると耳から血が出るから、洗面器に耳を傾ける。

よく母が「ボール一杯は出た」と言っていたから、小さな体から、かなりの量が出血したらしい。

血が出る時は、耳からサーッと水の流れる音が聞こえて、今でもその音はなんとなく覚えてる。

ちなみに、母の表現がオーバーでなかったのなら、体内の血液の量を考えると、子供にしては致死量の出血があったんじゃないかと思う。

皆が、息を引き取るのは今か今かと見守る中、山場と言われた夜を乗り越えて、私は奇跡的に助かった。

後日談として、入院せずに家に帰されたことが幸いしたと分かった。

看護師の知人に母が「入院していたら、耳から血が出ないように止血剤を打たれるから、そうすると、脳の中に血の塊ができて、手術しなければならなかっただろう」と言われたそう。

おかげさまで、目に見える障害は何も残らず、それから四十年近く生き続けている。


それで数年前、久しぶりに会った叔父に、転落事故の話をしていた時のこと。

叔父
うちには高い所から落ちる宿業があるから
高い所に登ったり近づいちゃいかんぞ

え?何それw

高い所から落ちる宿業とかあるの?www
あるぞ。
おっちゃんも、お前のお母さんも
高い所から落ちて死にかけてる

マジですかwww

そう言われれば、中学生の頃に、学校行事で九重山に登山した時、山頂付近でなぜか、フラッと後ろに倒れそうになって、落ちる!と思ったことがあった。

たまたま真後ろに、大学生のお兄さんがいて、後ろから支えてくれて助かった。

あの時、もしもお兄さんがいなかったら、確実に転落してたから、それを思い出してゾッとした。

それから叔父も、自分が転落した時のことを話してくれた気がするけど、どうしても思い出せない。

その叔父は、昨年、亡くなってしまって、もう聞けない。

従兄弟に会ったら、知っているか聞いてみようと思う。

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