24歳の田舎育ちの芋娘がたった3年で300人以上の生徒が通うお菓子教室を作った物語~14歳から20歳~

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「お母さん、私、パティシエになる。」



14歳の時大きな決断をした。


小さい頃からモノを作るのが大好きだった

とくにお菓子は人に喜んでもらえるから

中学二年生、これからの進路を決める大事なとき


将来パティシエになって自分の店を持つ

そう決めた。絶対楽しい、やりたい!ねぇお母さん!


「アホちゃう」


まさかの一言で片付けられた

はじめて、将来の夢を言った

はじめて、自分で出した答えを言った

はじめて、緊張しながらお母さんに話した

絶対に賛同してくれると思ったのに

私はアホだと言われて



心を閉じた



もう、言いなりになろう

どうせ私はアホなんだから




それから母が進める高校に進学した

みんなセンター試験を受けるような真面目な学校で

パティシエになりたいなんて言う子はいなかった


でも夢は捨てきれずに

高校2年の夏、進路相談のときにもう一度、挑戦した



「専門学校にいってパティシエになりたい」



二度目の告白は受け入れてくれた

しかし今度は学校が許してくれなかった


とりあえず大学に行けば?

栄養学科とかは?

趣味にしておいたほうがいいよ


そんなことはもういい!!


先生の都合をなんで押し付けるの

私はパティシエになるって決めたんだから!!



そしたら、校長先生に呼び出しされた



「本当にそれでいいんですか」


「はい。いいです」




なんか悪いことしてるみたいだと思ったが

何も悪くない、私は負けない!と強い気持ちで答えた






「では、頑張ってくださいね」





認められた。嬉しかった。

それからというもの、周りから変人扱いされ

お菓子の子、というレッテルが貼られた


バレンタインには先生や生徒から


「藤六さんのチョコが食べたいなぁ〜」


とたくさん注文が入るようになった

その数、50人

チョコレートはもう勘弁だと思うほど作った




そんな楽しい高校生活3年間を終え、

地元の調理師学校に進んだ





しかし入学早々

製菓の先生が小麦アレルギーになって辞めてしまった


どうしよう

お菓子作りは誰に習えばいいの


そんなとき外部の特別講師として月に一度だけ来てくれていたのが

将来、私が働くことになる◯◯ホテルのシェフパティシエだった


私は、そのシェフの大ファンになった


どうして失敗するのか

どうしてこの材料じゃないといけないのか

どうしてここで泡立てるのか


理屈や理論を徹底的に解説してくれる先生で

いつも授業は目からウロコだった



先生は25歳で世界のパティシエコンクールで優勝するという

素晴らしい実績の持ち主で、毎回会うだけでも楽しみだった


そんな先生を追いかけて、先生がいる神戸の某ホテルに就職した



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