あの頃、ビアハウス:さらば、Tipperary
It´s a long way to Tipperary
I´ts a long way to go
It´s a long way to Tipperary,
to the sweetest girl I know
la la good-bye Piccadilly, farewellLeicester Square
It´s a long long way to Tipperary
but my heart´s right there !
月が出た出た 月がでた ヨイヨイ
三池炭鉱の上に出た
あんまり~煙突が~高いので
さぞやお月さん 煙たかろ
サノヨイヨイ
この歌は第一次世界大戦中に流行った歌である。
「Tipperary」とはアイルランド共和国にある、地方の村の名前だ。この村から出征した兵たちが歌い始めて広まったのだそうだ。第一次世界大戦を背景にしたイギリス映画を見る機会があれば、バックに流れる音楽に耳を傾けてみて欲しい。恐らくこの曲が聞けるはずである。
下におかしな日本語の歌詞が入ってる?いかにも。
これは日本民謡の「炭坑節」です。この歌のイントロ、そして「but my heart´s right there」のエンディングの後に「炭坑節」は実にうまい具合に続けられるのであります。
歌の二番目、「炭坑節」に来たところで、ビアハウスホールの客はドッと笑い転げる、受けのいい歌なのである。 この「さらば、Tipperary」は梅田アサヒビアハウスではずっとこのように歌い継がれてきたのであります。
この歌と重なって必ずわたしの脳裏に浮かんで来るのが、キャセイ・パスィフィックのクルーたちである。 彼らが来ると、必ずこれをリクエストされる。ほとんどがイギリス人のクルーたちは、当時の国際空港伊丹に到着し、ロイヤル・ホテルに入り、一風呂浴びてのち徒党を組んで、我らのアサヒビアハウスにやってくる。
ビアハウスは9時半で閉店であるから、彼らはそれでは騒ぎ足りず、必然、英語を少しかじっていたわたしは一緒に連れだって、ピザパブの「梅田シェイキーズ」へと繰り出したものだ。
ここでは、ピザ、生ビールとともに、ディキシーランド・ジャズの生演奏が聴ける。わたしたちのお気に入りは、そこでクラルネットを吹いていた若い女性演奏者だった。 アサヒビアハウスも楽しかったが、この「シェイキーズ」もそれに劣らず愉快な酒場であった。
わたしは、このクルーたちを炉端焼きなどにも案内したりして、よく可愛がってもらい、独学でしていた英語勉強だったが、大いにブラッシュ・アップをさせてもらったのでした。
わたしがアメリカでの大学入学資金を達成し、いよいよアメリカに向けて羽田空港から飛び立つという日に、母や親友、義弟にまじって、そのクルーたちの一人Davidが代表で空港まで見送りに来てくれたことは、素晴らしい感激でした。
先輩歌姫宝木嬢と「エーデルワイス」を歌う、わが友David
今でも梅田シェイキーズは同じ場所にあるのだろうか・・・
あの頃のキャセイの仲間たちは皆どこにいるのだろうか。
It´s a long way to the olden times
It´s a long way to ABH(Asahi Beer House)
but my heart´s right there!
と、心の中で歌ってみる。
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