高3の夏、両膝を手術するのに入院したら、友達になった女の子の人格を変えてしまったようです
両膝の半月板が、本当に半月だったので手術した
あれは中学二年生の頃。
膝を曲げる度に、両膝がパキンと鳴るようになった。
特に右脚を曲げると、バキッ!という音が教室中に響き渡って、クラス全員に振り返られる程、大きな音がするようになった。
そうやって、膝の鳴る音量が大きくなるにつれて、膝に痛みが出てきた。
部活はバスケ部に入っていたけど、二年生の秋頃には膝の痛みが理由で退部した。
部活を辞めてから痛みは少し治まって、何事もなく中学校を卒業した。
高校に入学し、部活には入らなかったけど、毎日往復10kmの自転車通学は膝に負担が大きくて、徐々にまた痛みが出てきた。
そしてついに痛みに耐えかねて、高校三年生になってすぐ、初めて整形外科を受診した。
膝の音と痛みの原因はおそらく、半月板の奇形のせいだろうという診断だった。
説明を受けた内容は、半月板というのは、本当は三日月形をしていて、横から見ると、競輪場みたいに内側が低く、外側が高くなっているものだけど、膝を曲げて音が鳴る人の半月板は、本当に半月の形をしていて、内側が薄くもなくて、余計な部分が大腿骨の軟骨とぶつかる。そのせいで音がする、というものだった。
要は、私の半月板は「板付蒲鉾を切ったような形」をしているということ。
その余計な部分が大腿骨と擦れ合って、大腿骨の軟骨が擦り減って痛んでいて、このままでいくと、三十歳の頃には八十代のおばあちゃんみたいな膝になって、人工骨を入れなきゃいけなくなると言われた。

手術して、半月板の余計な部分を切除しないと、半月板も大腿骨の軟骨もなくなって、骨と骨がぶつかることになるよ。

まただ。
この時、ふと頭に浮かんだのは、中学一年生の時に虫垂炎の手術をした時のこと。
ただ痛いから何気無く受診したのに、いきなり手術が必要だって、思いもよらない現実を言い渡されて愕然とするしかないこの感じは、経験がある人にはよく分かると思う。
嘘でしょ……マジで?
手術しなくちゃいけないことを、その場ですぐには受け入れられない。
手術が必要だって言われた時は、いつも同じ気持ちになる。
なんとか手術を回避できないか
回避できないと分かっていても、悪あがきをしたくなる。
嫌なら無理して手術しなくていいよ、という先生からの一言を期待して、あれこれと質問をしてみても、同じ説明を繰り返し聞かされるだけで、結局は手術をするしかない。
渋々、手術を受け入れると、盲腸が破裂してる時みたいに緊急オペの必要がなければ、手術の日程を決めることになる。
私の両膝を手術する場合、片足ずつ行って、同じ手術を二回する、とのこと。
右脚を手術した一週間後、同じ手術を左脚にするから、トータルで三週間から一ヶ月の入院が必要になる。
ちょうどこの時、高校三年生で、季節は春。
これから大人になって、一ヶ月も休みを取って入院するのは大変になるから、高校生最後の夏休みを利用して手術をした方がいいという結論になった。
当時は、内視鏡を使って半月板を切除する手術というのができたばかりで、その手術を考案した先生がわざわざ、九州大学病院から来て執刀してくださることになった。
http://hosp.kyushu-u.ac.jp/shinryo/geka/05/index.html
夏休みに入り、日程通り入院すると、すぐに一回目の手術。
下半身麻酔なので、肩にめちゃくちゃ痛い筋肉注射をされる。それから、手術台に背中を丸めて寝て、脊髄注射。
ちなみに、痛み止めの痛み止めが効いているので、脊髄注射が万が一、痛かったらどうしようと緊張するけど、幸い、一度も痛かったことはない。
いよいよ手術台に横たわると、膝の手術だけど、消毒するのに、太ももからふくらはぎまで、たっぷりのイソジンをくまなく塗られた。
足を担ぎ上げて塗られているんだけど、その時点ですでに、感覚はなかった。
手術の準備が終わって、ちゃんと麻酔が効いているかの確認で、担ぎ上げられている太ももに針をブスブス刺したり、そのままグリグリされたりして見せられたけど、全く痛くなかった。
ただ、その光景がエグくて未だに忘れられない。
手術が始まると、横に置かれている内視鏡の白黒のモニターを見ているように言われた。
膝に、内視鏡を入れる穴、メスを入れる穴、半月板を摘まんだりする棒を入れる穴、と三ヶ所の穴を開けられて、まずは膝の中に水を入れられる。
モニターには、どんどん切除されていく半月板の欠片が、水に浮遊しているのが映っていた。
逐一、何をしているかの説明をされながらモニターを見せられるけど、暇だし、ずっとモニターを見ていたら眠たくなって、何度もうたた寝をした。なぜか、頬っぺたを叩かれて、その度に起こされた。
手術の感想としては、眠かった、これに尽きる。
そうして憂鬱の原因だった手術が終わってみると、もう一回手術が待っていても、心に余裕ができた。
手術の次の日の朝、六人部屋の人達が、調子はどうかと、次々に話しかけてきてくれた。
部屋の人達は、高校一年生が一人、八十代のお婆ちゃんが一人と、他はおばちゃんだった。
高校一年生の子は、バイクの事故で足を骨折していて、完全に寝たきりだった。
だから、部屋の一番奥のベッドをカーテンで仕切っていることが多く、あまり話せそうにない。
昼になって暇だなと思っていると、肩にかかるほどの長さの髪を、二つ結びにした子が尋ねてきた。
少しはにかんだ笑顔で近づいてきて、同じ歳の子が入院してきたと聞いて挨拶に来たと言われた。
私は嬉しくて、すぐに友達になった。
彼女の名前はNちゃん。女の子らしくて、可愛らしい柄のレターセットをたくさん持っていて、自分で縫って作った熊のマスコットを、よく撫でながら話していた。
だけど柔道部に入っていて、当時中学生だったヤワラちゃんこと、谷亮子選手の話しを聞かされていた。年下だけど、すごく強い子がいるって。自分も柔道強くなりたいと言っていた。
寝たきりの子に気の毒だからと、二人部屋の彼女の病室で、色んな話しをした。
夜中になるとクーラーが切れて、暑さのあまりに、隣のベッドの八十代のお婆ちゃんが毎晩「死ぬー助けてー」と一晩中呻いて、本当に死にそうで、うるさいし、心配で眠れないとか、本当にたわいもないことで大笑いしてた。
Nちゃんはよく笑う子だった。私が面白いことを言って、彼女がお腹を抱えて笑ってくれたから、さらに調子に乗って、面白い話しをした。二人で息もできないほど、涙を流しながら毎日笑っていたから、看護師さんによく叱られていた。彼女と過ごせた日々は、とてもとても楽しかった。
二回目の手術の前にも、すごく励ましてくれたし、退院してからも、可愛い字で、可愛い手紙をくれた。手紙には、私に出会えてよかった、私に出会って変わったし、毎日楽しくなったと書かれていた。
退院して一ヶ月ほど経って届いた手紙は、秋にもらったはずだ。
それから、受験のために秋、冬と会うこともなく、数回、電話したくらいだったけど、高校を卒業したら会おうと約束をした。
そして、約束の春、三月だったと思う。
また彼女と会えることを楽しみにして、待ち合わせ場所に着くと、そこには変わり果てた姿をして、Nちゃんが立っていた。
肩まである黒髪、女の子らしい白いワンピース、くらいの彼女のイメージからすれば、目の前にいる人物は、全く別人だった。
ゴツい靴。ジーンズに、カーキ色のジャンパー。
ゴツいシルバーのピアス、シャツの胸元に差してある黒いサングラス。
髪にいたっては、丸坊主を茶色に染めていた。
え?誰?
愛想のいい私でも、さすがに言葉を失った。
未成年なのに、まるで男みたいな渋い顔をして駅の外でタバコを吸っている。
だけど、顔は間違いなくNちゃんだった。
Nちゃんは私を見つけると、屈託のない笑顔で片手を上げて声をかけてきた。


自衛隊に入ることにしたから、気合い入れた。
人生で坊主にする機会ってもうないだろうから、坊主にしてみたよ
もう、何を話していいのか、全く分からなくなった。
だけど、彼女は変わらない笑顔でこういった。
こんなに変われたのはWakiさんのおかげだよ
え⁉︎何したあたしw
全然、心当たりがないw
それから彼女と連絡することは今まで一度もなかったけど、膝の古傷が痛むたびに思い出す。
Nちゃん、今はどうなってるかな。
また会って、楽しく笑いたいな。
ちなみに両膝の手術は成功し、音もしなくなりました。
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