メンバー全員うつ病!の会社をつくって、12000ユーザーを獲得した話

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 気がつけば、プライベートも仕事もうつ病の世界にどっぷりとつかってしまった

僕がうつ病の世界に足を踏み入れたきっかけを記そうと思う。





まずは、発病する話だよ


大学も中退しているし、仕事を探さなければいかん、という訳で、ぼくが選んだのは当時流行っていたケータイサイトを運営する会社だった。ぼくの会社選びの基準は「政治よりもよりビジネスに近い文化がある業界であること」「さらに、最も若い業界であること」の2点。




ジェインジェイコブズというアメリカの思想家・活動がいる。彼女は著書「アメリカ大都市の死と生」でル・コルビュジエに代表される計画的に設計された街造りを否定した人物だ。




ぼくが好きな彼女の本「市場の倫理・統治の倫理」ではざっくり言うとこんなことがかかれている。世の中の組織や思想は大きくふたつのカルチャーに別れる。市場と政治だ。そして、それぞれの文化では、規範となる倫理体系が真っ向から対立する。たとえばこんな感じ。





市場:契約を守り、ひたすら工夫して、win-winで取引しよう

政治:縄張り/伝統/上下関係を重視し、ゼロサムで取り合おう




会社で言えば、重厚長大な大企業、あるいは中小でも歴史の長いところは政治寄りの倫理体系が強いだろう。


ぼくは性格的にも政治的カルチャーには全く向いていないと判断したのだ。

また、せっかくだから、上役がつまっていない、新しい産業に行ってみようと思った。それはつまりIT業界で、さらにその中で新しいとなると、必然的にかどうかはわからないが、ケータイサイト運営会社だった。




結局選んだ&受かったのは、スポーツのサイトその他を運営する企業だった。




最初に驚いたのはパソコンにフロッピーディスクの入口がないことだった。ぼくのパソコンの知識は中学生の時のままだった。大学時代にレッツノートをもっていたが、なぜだかUSBメモリを使ったことがなかったのだ。




そんな、どう考えても使えない新入りだったが、広告の枠管理から始まり、気がつけば仕事はどんどん増えていった。ユーザーサポート、サイトの更新、広告のUP、記事のライティング。このあたりはミスばかりして怒られながらも全然こなせた。しかし、不思議と社員が辞めていく。その度に新しい仕事が振ってくる。あっという間にサイト全体の運営を任され、取引先との厳しいやりとりやトラブルシューティング(毎日のようにあった)、サイトのリニューアル、docomoなどキャリアの対応、新しい広告商品の開発、新しいサイトの企画書の作成などなどをこなしていた。




かつては複数人のチームでサイトの運営にあたっていたのに、あっという間にぼくとアルバイト一人の体制になっていた。(ぼくが入った時にいた新規事業部のメンバーは誰1人いなくなっていた)その体制で3〜4サイトを見なくてはいけない。しかし当時は市場の追い風もあり、サイトを引き継いだ時には月間4000万PVだったスポーツサイトがいいときで1億3000万PVにも育っていた。もちろんアクセスが増えるように沢山施策をしてがんばったのだけれど。




なんだか順調そうだが、働くというのは大変だ。日々のルーティンワークが終わるとほぼ終電。そこから毎日新しく発生したタスクをこなすのでしょっちゅう会社に泊まる。「泊まれる」といい方で、けっこう徹夜もする。運良く帰れても、神奈川から勝ち鬨まで通勤していたので、帰って夕飯を食べると午前1:30くらい。土日はもちろんなくて、シフト制で勤務している同僚からは、「あいつも平日休みなんだろう」と思われていた。



スポーツサイトを担当しているという特性上、大晦日もお正月もない。格闘技とかサッカー天皇杯とか駅伝とかがあるから。忙しすぎて、見かねた取引先の人が「とうどうさんを励ます会」をやりましょうと言ってくれたりもしたが、当然ながら忙しいので出席できないのだ。




とはいえ、社会人とはこんなものなのかな、と勘違いもしていた。サイバーエージェントの藤田社長の本には「若い頃は毎日死ぬほど働いて、アパートにたどり着くときには気絶しそうになっていた」と書いてあったからだ。まさしく、気絶しそうになりながら、フラフラと帰り道を歩く日々だった。いや、帰らないで会社のデスクで寝ることも多かったけど。


しょっちゅう「20代は死ぬほど働くべき。死なないから。自分は死ななかったし」という人がいるが、みんな真に受けない方がいいとおもう。妊娠した女性で、出産間近まで働いた人がドヤ顔で語ったりするが、それは陣痛が人よりたまたま軽かっただけだ。それと一緒で見本にする必要なんて無い。彼らは運がよかったのだ。それはいいことかもだけど、一般化すべきじゃない。




さすがにきついな、と思って人事部長に相談したこともある。「毎日のように会社に泊まって仕事をしている。どうにかなりませんか」と訊いたら「朝早くきてやればいいじゃない」とのことだった。いや、深夜も早朝も働いているのだ。日本語でコミュニケーションがとれない人だと諦めた。




ある日「地獄の田園都市線」で通勤している最中、窓に映る自分の顔が見えた。痩せこけて、目の隈はひどく、死人のような顔をしていた。そういえば長い間家族とは顔を合わせる時間がなく、友人の誰とも会っていなかった。常に頭が痛かったし、脳卒中になるのではないかと心配もしていた。そのとき「転職しよう」と決めた。




しかし、転職サイトに登録する前に限界を向かえてしまった。ある日曜日にいつものごとく出社すると、パソコンの前には座れるが、キーボードがたたけなくなってしまったのだ。その時は新しいサイトのキャリア向け企画書をつくらなくてはいけなかったのだが、指が動かない。おかしい、と思って簡単な作業をしようと思うのだが、それもできない。結局3時間以上パソコンの前に座ってフリーズしていた。中島らもの「心が雨漏りする日には」を思い出し、ああ、自分はうつ病になったのだと悟った。




職場から逃げ去ろうとしていたのだが、シューベルトの「魔王」の如く案の定、死神につかまった。こうしてぼくの現在に至るうつ病生活は幕を開けたのだ。



起業するには医療の専門家が必要だから探す、という話だよ



「うつ病患者の孤独と、インターネットの相性は絶対にいい。なにかができる」そう思いつつも、ぼくはただの患者だった。起業するにはなにもかもが足りない。それどころか会社に行くのもやっとだ。初台駅に着いてからオペラシティのベンチで、今日はしんどすぎるから休もう、いや、出社しなくてはいけない…と逡巡を毎朝繰り返していた。全然休まなかったが。






そもそも、サービスを立ち上げて世に問うには、日本中に「本名と顔を晒したうつ病患者」として生きなくてはいけない。過去のこととしてカミングアウトするのであればいざ知らず、そんなリアルタイムのうつ病患者はみたことがない。会社にもカミングアウトしていないのに。






起業するのに躊躇うひとは多いだろう。うつ病を患っていたぼくには、事業の成否よりも、弱り果てた自分を社会全体に晒すということの方が恐怖だった。ヒトモノカネがない、というレベルじゃない。スタートアップするかどうか以前の問題だ。






それでも、ある夜に覚悟を決めた。今回の生涯はこれに賭けよう。人生が失敗しても、ぼくを事例にしてもらって、次の人(当事者でも医療従事者でもNPOでも行政でもいい)が立ち上がるかもしれない。そしていつか、誰かが成功し、巨大なうつ病に一撃をお見舞いするだろう。それでいいじゃないか。






野田智義さんは語る。






「しかし、村で暮らすあなたには、何か抑えきれない気持ちがある。遠く目を凝らすと、沼と森の果てに、ほのかな光が見えるような気がするのだ。…あなたは沼に1歩を踏み入れる。水は冷たく、よどむ泥がその深さを隠し、周囲の闇が身体を包む。不安や恐怖が頭をかすめ、思わず身がすくむが、それでも、沼を渡り森を抜けたい、青空を見たい見せてやりたい、と思う気持ちがあなたに歩みを続けさせる。」






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