失聴経験 6私を支えてくれたこと

前話: 失聴経験 5補聴器 ③購入について言いたい!
次話: 失聴経験 7「差別」聞こえない側からの拒絶と品川手話サークルとの出会い

当時私の周りにいてくれた方々に改めて感謝申し上げます。


① 夢

私は詩を書いている。こんなことを堂々と言える立場ではないが、詩を書いている。最近やっと人に少しずつ人に言えるようになった。今まで自分の中では30歳になるまでは自分自身で書き溜め、外には出さずに努力しようと思っていた。

2年前、ある方の助言がきっかけで公募に応募するようになった。そして2回の受賞歴がある。(と言ってもどちらも下の賞ですが、私にとっては人様に認められてとても嬉しい出来事です。)


将来「詩を書いて生きていく人」になりたい!一日も早く「あの人は詩を書いているんだよ。」と世の中に認めてもらえるようになりたい。

人間の強い面も、弱い面も、汚い面も、きれいな面も全部表現できる人になりたい。そして私が書いた詩で、誰かの心に何かを訴えられたらいいなぁと思っている。

自分の書いた言葉で人の心に触れることができたら幸せだと思っている。

この夢を実現したいから、私はこれからも夢に向かって歩み続けたい!



② 友達

私は元々友達は少ない方だと思う。10人の浅い関係より、一人でも心から分かり合える友達がいた方が良い「深く狭くタイプ」だ。

聞こえなくなったと分かった時、友達に1日も早く打ち明けようと思った。(とは言え、実際に行動するにはとても勇気が必要だった。)事実をさらけ出して壊れる関係ならば、始めから本当の意味で友達とは言えない。もしそう言う人がいれば今後関わらなければ良いだけの話である。

メールのできる人にはメールで。その他の人には手紙で聞こえなくなったとすぐに連絡をしまくった。幸い誰も聞こえなくなったことを理由に私から離れて行く人はいなかった。(しかしケンカ別れした友達はいる。性格悪いなぁ私…)

「聞こえなくなろうが補聴器をつけようが、お前の中身が変わらなきゃ別に問題はないよ。」

「耳が聞こえなくなっただけなんでしょ?目よりも良かったじゃん。聞こえなくなったって詩は書けるんだし。聞こえなくなって感じ考えたことも詩にぶつければいいんだよ。」

「大丈夫、あなたよりもっともっと大変な思いをしている人は世の中に沢山いるよ。前向きに生きなさい。」

誰もがそれぞれの言葉で私を励ましてくれた。そう言ってくれた友達一人ひとりに私は心から感謝している。

「今まで本当にありがとう。これからも友達でいて下さい。」(懇願)


※目の見えない方、命と関わる病気の方には大変失礼な表現だと思います。誠に申し訳ございません。




③ 上司

補聴器相談の翌日は仕事だった。私は2日間泣きっ放しだったので、その日は頭痛が酷かった。こんなに大泣きしたのは子供の時以来だと思う。もしかしたら子供の頃の方が泣くのを我慢していたかも知れない。

とりあえず仕事に行きたくなかった。布団から起き上がるのが億劫だった。

けれども検査の結果が分かる日はあらかじめ会社に伝えてあったし、例え1日仮病をした所でいずれは会社に行かなければならない。もし「辞めろ」と言われたら、それまでだと考えればいい。私はとにかく出勤することにした。


当時私は接客のパートをしていた。その日は売り場の1番上の社員がいなく、その上司に検査の結果を話した。

「一昨日検査の結果が分かりました。母親が聴覚障害者なのですが、その遺伝で両耳とも難聴です。聞こえの程度は普通の人よりも障害に近く、今後聴力は回復することはありませんが、悪くなるか現状を維持できるのか分からない状況です。

はっきり言って、今の自分はどうしたらいいのか全く分かりません。もちろんお店に迷惑をかけるようであれば辞める覚悟はできています。」

そう話すだけで涙が出そうになった。


「そっか。結果は良くなかったけど明日急に全く聞こえなくなる訳ではないんでしょう。今辞めたらきっと色々と良くない方向に考えて辛くなると思う。それに不況で新しい仕事を探すのも大変だと思うし、あなたが我慢できるのなら次の仕事を見つけるまでここで働いた方がいいと思うよ。」

そう言ってもらえて心から救われた。

今はその仕事を辞めてしまったけれど、あの日上司にそう言ってもらったから私はその後6か月仕事を続けることができた。上司は私が在勤中に結婚退職された。その時私はちゃんと挨拶できなかったので、今この場をお借りして御礼を言いたい。

「ありきたりな言葉ですが、あの日は本当にありがとうございました。そして退職されるまで色々と気遣って下さり本当にありがとうございました。」






「聞こえないこと」と「見えないこと」はどっちが大変なの?

聞こえなくなった時によく言われて傷ついた言葉があります。それは

「目じゃなくて良かったね。」

「見えるんだから大したことないでしょ。」

「見えない人より聞こえない方がましだよね。」

と言う言葉の数々です。言って下さった方々はその方なりの励ましのつもりだったのでしょうが、言われた側としては釈然としない違和感を感じます。


現在廃止された聴覚障害者向けの雑誌に「会話」を想定した視覚障害者と聴覚障害者の実験が書いてありました。

円形に並べた椅子に人が座り、その中心に視覚障害者が座った時と聴覚障害者が座った時、どちらの時に会話が困難になるかと言う実験です。

・視覚障害の方が真ん中に座った時は、確かに見えないですから話し手がどんな顔なのか分からなかったり等の不自由さはありますが、あくまでも「会話」の観点からは成立することに対し

・聴覚障害者が真ん中に座った時は「話し手の言葉が聞き取れず会話が成立しない」と言う結果になりました。

※この実験はあくまでも「会話」を想定した場合です。


我々聴覚障害者は確かにその場に存在することはできますが、複数の人の会話の中では「実質的にその輪の中に入れないと言う現象」が起こります。

ある聴覚障害者の方の言葉を借りれば「透明な厚い壁で遮られている様な疎外感」を実質的に感じてしまうのです。


視覚には視覚の働きがあり、聴覚には聴覚の働きがあります。それぞれの司る感覚が違いますから、

単純にどちらの障害が重いまたは軽いとは言い切れないのが答えではないでしょうか。









(余談ですが詩は30歳位から全く書いていませんし今後も書く見込みはありません。)


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失聴経験 7「差別」聞こえない側からの拒絶と品川手話サークルとの出会い

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