失聴経験 7「差別」聞こえない側からの拒絶と品川手話サークルとの出会い

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※当時は団体名を明記しておりましたが、現在は関わらせて頂いておりますので実名を伏せて記述します。



検査期間中にがむしゃらに調べた資料の中に某聴覚障害者団体に関する記述を発見し、検査結果が判明してからすぐにそこに問い合わせをした。聴力が現状維持できるのは後どの位かも分からないし、低下が進行するのであれば一体どれだけの時間が私の中に残されているのか予測がつかない。

私は一刻も早く手話を身につけ現実の受け入れと今後の自分の生き方の探索そして聴力の低下が進行しても困らないようにしたかった。


「はい。OO団体です。」

「最近聞こえなくなってしまったので手話を学びたいのですが…。」

「手話ですか?手帳はお持ちですか?」

「手帳って身体障害者手帳のことですか?私はありません。」

「それじゃ今すぐには受け入れられません。そう言う決まりですから。手帳があればいつでも受け入れられますが、そうでない方は次の講習会開講まで待って頂かないといけません。」

「どうしてもですか?私がそちらに直接お伺いしてもダメですか?そうでなければ次の募集のために予約はできませんか?」

「残念ですけど、それはできません。」


私はその対応にひどく腹が立った。検査結果が確定したのは6月中旬だったので次の開講日までに4か月待つことになる。受話器を置いてから理不尽さにショックを受けて補聴器を外すと涙が込み上げてきた。

人生の途中で聞こえなくなるのに時期を選べる訳がない。障害者手帳を持っていない為に門前払いされるなんて何のための聴覚障害者団体なのだろうか。

私にとってこの出来事は紛れもなく初めての「差別」だった。聞こえる側からのではなく、聞こえない側からの拒絶はとても衝撃的だった。身体障害者手帳の有無に関わらず聞こえなくなった苦しみを否定されたようでとても悔しかった。


現在はこの団体で手話を受講している。団体には手話の講習会とサークルがあるそうだ。私が「手話を学びたい。」と言った時、団体側は講習会の受講と勘違いしたのかも知れない。私はサークルでも何でもいいのでとにかく手話を学びたかった。もし私の憶測が当たっていれば団体側にはこう言って欲しかった。

「手帳が無いと次の講習会まで待たないといけませんが、団体に所属すればサークルがあるので、そこで学びませんか?」と。


その後私は居住している市の福祉課へ電話をかけた。そこでもあまり良い対応はされず「聞こえない。」と言ったにも関わらず早口で市に登録してある手話サークル名と責任者の連絡先を言われた後に

「行く気があるなら、自分で問い合わせなさい。」

と突き放すように言われた。話の内容は所々聞き取れなかったし、すっかり落ち込んで問い合わせをする気にはなれなかった。





5月に聞こえの悪さを自覚してどこの病院に行けば良いのか迷っていた時に、品川手話サークルにFAXを送りとても親切にしてもらった。ここなら受け入れてもらえるかも知れないと思い、私は診断結果と某団体に断られたことを書いてもう一度FAXを送った。

返信には「耳が聞こえない悩みや不便さは、聞こえる人にはなかなか理解してもらえませんね。」と言う言葉と共にサークルの所在地の地図や時間と一緒に「いつでも見学に来て下さい。」と書かれてあった。


初めて見学に行った日、昼の部では一緒に参加させてもらい、私にFAXの返信をくれた方はサークルの会長さんで夜の部に来られると知った。同じグループで勉強していたお姉さんがそれを確認してくれて、夜の部まで自宅に招いてくれ夜の部も一緒に行ってくれた。


夜、会長さんにお会いした時、私は感謝の気持ちを述べようと思っていたのに会長さんを目の前にした瞬間、何も考えられなくなって泣いてしまった。他の所では見捨てられたのに、いつも親切にしてくれて本当にありがたかった。

「これから楽しく一緒に手話を学んで行きましょう。」

涙に霞んだ視界の中で会長さんは穏やかにそう言ってくれた。私はその時うなずいて

「ありがとうございます。」と返事をするのが精一杯だった。


その日から私は品川手話サークルに通っている。ここで学ばせて頂いていることに今もとても感謝しているし、これからもこのサークルで学んで行きたいと思っている。













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失聴経験 8三年振りの帰省 ①計画

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