乳腺外科で手術を受けた2年後に、ヨット乗りになり、ボートの免許とチェーンソーの資格を取った話

1 / 4 ページ

入院:2013年の夏


26歳のころから乳腺症を患っていた私は、2013年4月ごろ、かかりつけの外科の先生の指示で乳腺エコーを受けた。


「なにか腫瘍のようなものが映っている」

と技師さんからの指摘があったのは、全くの意外なできごとだった。

外科の先生の動きは素早く、すぐに乳腺専門医の診察を手配して下さり、入院・手術を行う方向に話が進む。私は20代前半に耳鼻科の手術を受けた経験があるため、身体にメスを入れることに抵抗はなかった。「スパッと切って、サクッと解決」を強く望んだのは私のほうだったかもしれない。


しかし乳腺外科の先生は

「傷はできるだけ小さく、後に影響が残らない方法で」

ということに、こだわっておられた。

私は36歳になっており、素敵な出会いももうないだろうと思っていた。だから乳房の形が崩れようと、傷が残ろうと大したことはないと考えていたのだ。しかし乳腺外科の先生は、

「人生にはどんなことがあるか、分からないんだよ」

と、根気よく言い聞かせてくださった。


入院・手術は2013年7月に決定。

2013年に入ったころから、ライターとしての仕事が忙しく、仕事優先のために、自分の興味を満たすための取材は後回しにしてきた。放送大学学生としての勉強も滞りがちであった私には、入院期間=よい休憩期間という認識だった。


手術室の空きなどを勘案して日程が決まった時点で、

「取材に行っておきたかったイベントが、入院期間中に含まれてしまう」

という引っ掛かりはあった。しかし、その病院では手術室のやりくりが大変なことになっているというお話を先生方から聞いていたので、私の自主取材は来年にまわせばいいと考え、入院をすることに決める。


結果的に、手術によって切除した組織は悪性のものではなかった。入院中に上げ膳据え膳でいただく食事は美味しかった。放送大学のテキストをしっかり読み込み、単位認定試験にも無事合格することができた。


行けなかった取材のことは、「行けなかった」のだから、本来それでおしまいのはず。来年、同じイベントがある時期が来るまでは、取材ノートの話題の1つとして寝かせておくだけのお話だった。


私と闘病の歴史について

私は長い間、色々な病気と共に生きてきた。循環器内科、外科(消化器、乳腺)、皮膚科、婦人科、耳鼻科、精神科で様々な先生にお世話になり、1か月に5日~7日は通院に費やすことが当たり前。薬がなかなか合わず「もう、しんどい。治療をやめて楽になりたい」と先生方に当たり散らしたことも、数知れずある。

しかし、乳腺外科に入院するときには、多くの先生の励ましを受けることができ、退院後には悪性のものでなかったことを共に喜んでくれる先生方の姿を目の当たりにして

「あぁ、治療をしてきて良かった」

と心から思えた。


私がフリーライターという仕事、特に金融・経済関係、あるいは資格試験・生涯学習という分野での執筆を選んだことも、平日に通院しなければならない(ついでに言えば祖母の介護も忙しかった)ので、在宅でできる仕事をしたいという思いがあったからだ。私にとって病院の待合室は格好の勉強場所だった。長い待ち時間が生じると思って分厚いテキストを持って行ったのに、2,3分しか待たされなかったときには、「もうちょっと待ちたい」と思うことすらあった。



2013年秋 行けなかった取材が追いかけてくる

さて、夏に行けなかったイベントの取材。いったんは寝かせたはずの興味が、やはり頭の片隅にくすぶっていたのか、ふと「イベントの結果はどうだったのだろう?」と気になった。

結果をインターネットで検索し、表示する。驚いたことに、そこにはまだ知り合って日が浅い某氏の名前があった。

近いうち、某氏に会う予定があったため、

「イベントに出場されていましたよね?」

と尋ねようと思う。

しかし、某氏の気持ちを考えるとなかなか口に出せない日が続いた。

「知り合ったばかりなのに、なぜそんなプライベート情報をつかまれているのか?」

と気持ち悪く思われるかもしれない。

みんなの読んで良かった!