失聴経験 8三年振りの帰省 ①計画

前編: 失聴経験 7「差別」聞こえない側からの拒絶と品川手話サークルとの出会い
後編: 失聴経験 8三年振りの帰省 ②さようなら過去

※岩手県大船渡市周辺の方言(ケセン語)を会話に用いております。


聞こえなくなって検査の結果が分かった時、私は実家に電話をかけた。母は電話の声を聞き取れないので父が出ると

「聞ごえなぐなっだっで言っでも電話でぎるべっちゃ。嘘ついでんでねぇが?ほじょうぎ(補聴器)がひづよう(必要)だっで言っで、金目当でじゃねぇべな?」と罵られた。

(私の場合、補聴器をつけて相手にゆっくりと大きい声で話してもらえば大体会話ができる。)


聞こえなくなって落ち込んでいるのに、気分は本当に最悪だった。その後はずっと言い争いだった。親なら少しは心配してくれるかと思って期待した私が浅はかだった。無駄な通話料を費やして、心がボロボロになって私は受話器を置いた。



夏に連休を取って今回はどうしても帰省しなければいけない気がした。

私にとって生家はないに等しい。自分が生まれ育った場所自体は嫌いではない。会いたい友達もいる。けれども私にはもう帰る家はなかった。二度とあの家に足を踏み入れたくなかった。今後一切両親の顔を見たくなかった。

会いたい友達に会い、過去を捨てようと思っていた。そしてばあちゃんに聞こえなくなったことを打ち明ける為に帰る決心をした。


私は「ばあちゃん子」だ。両親が死んでも全然悲しくないが、ばあちゃんが死ぬことを考えるだけで、とても悲しい。子供の頃に「まんが日本昔話」で見たのだが、寿命のろうそくがこの世に本当に存在するのなら、私の寿命を10年分でも20年分でも…ばあちゃんに分けてあげたい。





実家がある同じ町に本家のおばさんが住んでいる。私の母に比べたら断然物分りの良い人でとても頼りになる。私は本家に電話をして、聞こえなくなったことや今回帰省する目的を伝えて本家に泊めて欲しいとお願いした。

おばさんは快く受け入れてくれた。私は2日間、本家に泊まることにした。妹と友達と本家のおばさんにだけ連絡を取って、私は3年振りに故郷に帰省した。


本家に着いてみると飼い犬が老衰していて死期が近くとても忙しそうだった。おばさんは私に気を遣って行くまで何も教えてくれなかった。初日は自分の計画通りに過ぎて行った。



2日目の朝にばあちゃんの家に行こうとして本家のおばさんと話していたら、偶然ばあちゃんが本家の玄関にやって来た。

「何やっでんだ!!」

と怒られ、とりあえず茶の間に上がってもらい聞こえなくなったことを打ち明けた。いくら説明しても信じてくれず、原因が遺伝と言うことも否定したがっていた。実家に帰りたくないもう一つの理由(虐待されたこと)については打ち明けられなかった。


ばあちゃんは元々心臓が弱いし、母はばあちゃんにとって自慢の娘だった。

真実を知らない方が幸せな時もある。そのことを打ち明けられないもどかしさの中で、私はやはりそれを隠すことを決心した。

「どんなこどがあっでもおやご(親子)はおやごなんだがらな!!家さ帰っでおがあさんに会っで来い!!そんなに行ぎだくねぇば、ばあちゃんが連れでぐがらな!!」

今にも引きずり出される勢いだった。

「自分で行って来るよ。ちゃんと行く。」

私はそう約束して実家へと向かった。











続きのストーリーはこちら!

失聴経験 8三年振りの帰省 ②さようなら過去

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。