失聴経験 8三年振りの帰省 ②さようなら過去
二度と足を踏み入れるつもりのない場所に私は再び訪れた。
茶の間に母と妹がいて二人とも面食らった顔をしていた。(妹のことはその夜本家に呼んで一緒に夕飯を食べるつもりだった。)私は仕方なく
「ばあちゃんが帰れって言ったから来た。」と口を開いた。母は
「何やっでんだべ。あんだぁ。」と驚いていた。
予定では両親に知られずに東京へ戻るつもりだった。私は仕方なく本当のことを話した。母はその夜は実家に帰って来いと言ったが、私はそれを強く否定した。妹が側からこう言った。
「姉ちゃんはもうお父さんに会いだぐねぇの、分がっぺ。」
母は消え入りそうな声でこう言った。
「お父さんに会わないで帰る話がどごさあんだべ。」
私は酷く心の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。母の頭の中身はどうなっているのだろう?私が家を出た後の数年間、妹にまで手を上げた男を「お父さん」なんてよく偉そうに言えるものだと反吐が出そうだった。
そして私が聞こえなくなった原因については一度も触れなかった。
「ごめんなさい。」とか「聞こえないのは大変だよね。」も何もなかった。それどころか偽善的な視線を私に向けてきた。
私は狂おしい感情の中で母を抱き締め、心の中で母親の存在を葬った。
自分が母の立場であれば、私は絶対に自分の子供に頭を下げると思う。遺伝と言われ聞こえなくなったばかりの自分の子供が数年振りに帰省したら、とにかく謝ると思う。謝ったところで聴力は戻らないと分かっていても、誠意を込めて気持ちを伝えようとするだろう。例え子供が自分の気持ちを否定してでも、親以前に一人の人間としてそう行動するに違いない。
そして私は最後となる家の空間を複雑な思いで記憶に留めていた。
その日は偶然夏祭りで、妹と夜の町をブラブラしてから本家に戻った。妹には本当に申し訳ないと思う。私が家を出たので、妹にあの家にいることを強制してしまった気がしてならない。無責任な言い方だが、妹も家を出れば良いのにと思う。そうできないように追い込んだ原因の多くは、紛れもなく私自身だ。父親の暴力が再発しないかといつも不安でならない。
本家に戻るとおばさんに
「ばあちゃんが倒れた。」と聞かされた。
翌日帰る前にばあちゃんの家に寄るように言われた。でももう悲しくて一刻も早くこの場を去りたかった。台風を巻き起こして周囲の人間をめちゃくちゃにしている自分の存在を消したかった。そのままばあちゃんの家に行くことにした。
ばあちゃんの家に着くと、ばあちゃんは横になっていて
「もう大丈夫だ。」と弱々しく言った。
私が翌日朝早く帰ると言うと物置に行って色々と物をくれた。
「何が足りねぇ物ねぇが?」
心配そうに物を動かすばあちゃんを見て、私は何とも言えない気持ちになった。
「今度帰っで来るどき(時)は、ばあちゃんの家に来ればいいんだがら。家に帰りだぐねぇば、ばあちゃん家さ来ぉ。」
そう言われて涙が溢れて止まらなかった。
「私のせいで倒れたんでしょ。ごめんなさい!」
そう言って抱きつくと本当に離れたくなかった。小さい時から好きだったばあちゃんは、私が年を取った分だけ弱くなった気がした。泣きながらばあちゃんにはもう、会わない方が良いと思った。ろうそくの寿命を分けてあげられないのなら、残りの人生はできるだけ悲しませたくはない。
「まだ、いづでも帰っで来ぉ。」
と言いながら、ばあちゃんは私を引き離した。
「うん、またね。」
そう返事をしながら私は約束を裏切る決心をしていた。何もかもが色褪せて死に彩られているように感じた。
自分の過去を、故郷を捨てるにはふさわしい旅だった。
著者の小川 詩織さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます