facebookでメッセージを送った相手が次の日死んでしまった話 カネ無し・コネ無し・コトバ無し・英検5級で海外で仕事①
次の年から収益を確実に上げるためには何をすれば良いのか悩んだが、結局漁民のやりたいことを支援することにした。
僕は色々提案して収入を増やしたとしても、彼らがやりたいことでなければ長続きはしない。
しかも僕が帰国したらプロジェクトを辞めてしまうかもしれない。
そのためミィーティングにミィーティング(という名の飲み会)を重ね、彼らのやりたいことを支援するようにした。
酒の場でやりたい事を多くの漁民から聞き出したが、誰もが養殖をやりたがっていた。理由は簡単!近くの住民が魚の養殖で儲けていたからだ。
養殖について知識が無いが、分からない事があれば養殖を行っている住民に聞けばいいし、レイテ州の漁業局の公務員に聞けば専門的な意見も聞けるだろうと考えました。
と、いわけで1円(1ペソ)も払えない状況から養殖場作りがスタートした。
・・・さてお金どうしよう。
凄く貧しい彼ら(漁民)から集めるわけにはいかない。
JICAに相談しても半分までしか出さないという。
半分を出すお金が無いのだ。
しかし町役場にお金(予算)はある。
そう、役場は漁民にお金を使いたくないのだ。
「町役場がお金を漁民に使うメリットをキチンと示してあげれば何とかなるかも・・・」
基本的に役所は紙で動く、いくら私の現地語が堪能でも、役所の予算を使うことによって費用対効果がどのように示されるのかまとめなければならない。
役場での会話はワライワライ語だが、書類は全て英語だ。
「さてどうしよう、英語は英語圏の人が最も上手いし・・・・」
翌日1日かけて書いた書類をアメリカ平和部隊(バート)に見せた。
「餅は餅屋」という言葉がある通り、英語の書類は英語を母国語とする人が書いた方が良い(笑)
バートは少し考えると15分ほどで英語の書類を書いてしまった。
書類の中身を簡単に説明すると、養殖場作製工事費の50%をJICA(国際協力機構)が出す。25%を町役場が出し、残りの25%を漁民が払う。漁民は賃金を労働費として払い、フィリピンの最低賃金で1ヶ月間魚の養殖場作りのために働く。町役場は実質25%しか払わないが、これからJICAと色々行いメリットがありますよ。・・・という内容のものだった。
この他にも今の漁民の暮らしぶりや、今回養殖場を作る事によってどのようなメリットが役場や漁民が受けることができるのか書かれており、素晴らしい書類が出来上がった。
英語の書類とエクセルで作ったデータをまとめて、JICAと町役場に提出。
書類に皆感動したのか数日後無事予算を獲得することができた。
しかし問題はここからだった。
※実際の写真
養殖場作製は本当にゼロからのスタートだった。
よく分からない水草や沼の回りに木が生えているため、それを取り除くところから始めた。
草が多すぎて陸か沼か分からない。
とにかく水面がキレイに現れるまで、漁民と共に沼の掃除を行った。
とにかく全部人力で行う!
しかもデング熱を持つ蚊と日本住血吸虫が居るという最悪な条件・・・。
重機なんて無いので、僕も含め漁民みんなで養殖場の枠となる竹を人力で沼に刺していきます。
くい打ち機の変わりに、体重の重さで杭(竹)を刺していく。
時々冗談も入れながら作業をし始めると、以外と楽しい。
泥まみれになりながらも、漁民やその家族と共に生活し養殖場を作り上げていった。
養殖場作製の目的は、もちろん漁業以外で収入を増やすためだ。
収入が増えれば都市部へ出稼ぎに行かなくても良くなり、貧しい人が都市部のスモーキーマウンテンでゴミを拾うことも少なくなるかもしれない。
そんなデザイナーだった昔を思い出し養殖場作りは進んでいった。
そして養殖場は2ヶ月で完成した。
工事計画は1ヶ月だったが、フィリピンでは遅れることが当たり前、2ヶ月も想定の範囲内だった。
ホームステイ先のホストマザーが漁民へ「なぜ養殖場が必要なのか?」を説明し、うまく漁民をまとめられたことが養殖場完成の近道に繋がった。
そして最後に稚魚を養殖場に入れ、餌を稚魚に与える。
これを4〜5ヶ月行えば、魚は大きくなり漁獲することが出来る。
魚はティラピアという魚を育てることとした。
これは病気になりにくく、フィリピンで2番目に人気のある魚だからだ。
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