何事も長続きしない半端な僕がたった1つの譲れない仕事感に気付けた話。-転職借金編-(2/3)

前編: 何事も長続きしない半端な僕がたった1つの譲れない仕事感に気付けた話。-新卒挫折編-(1/3)
後編: 何事も長続きしない半端な僕がたった1つの譲れない仕事感に気付けた話。-10万回の電話営業編-(3/3)

藁をもすがる思いで会いに行った先

新卒で入社した会社で挫折し、気付けば会社を無断欠勤し

東京行きの新幹線に乗っていた。そこで会いに行ったのは大学生の頃から

お世話になっていた憧れの社会人Aさんだ。


Aさんはキャリアカウンセラーとして独立をし、大学でキャリアの授業を生徒に教えながら

大学生の就労支援や新入社員に対する研修などを生業にしていた。


Aさんとの出会いは、大学生の頃に所属していたサークルだった。

社会人を招いてセミナーを開くという企画があり、「ロジカルシンキングセミナー」

という一般的な大学生には到底理解し難い、内容だった。その時の講師がAさんだった。


その時のAさんの身振りや手振り、言葉の端々から感じる知性や仕事に対する情熱的な想い。

私はセミナーの内容だけではなくAさんの振る舞いに目を奪われていた。

「こんな社会人になりたい!」と心から思えた瞬間だった。


それからご縁をいただき、Aさんの会社のインターン生として社会を学びビジネスを学んだ。

全てが新鮮で本当に多くの出会いと経験を積ませていただいた。今でも本当に感謝をしている。



これから会うAさんのことを思い返しながら、新幹線に揺られていると

あっという間に東京に着いた。

Aさんに会うなり、私は自分がどれだけ苦しい思いをしたか、

どれだけ悩み葛藤したかを伝え続けた。私が話し終えるまでうんうんと頷いていたAさんは

私に向かって丁寧にこう言った。

この後メールで送る内容を見てその答えを考えて欲しい。私はこのあと仕事があるから終わったらまた近くで落ち合おう。その時までに真剣に考えて見て下さい。

そう伝えると、Aさんは次の仕事場に向かった。早速メールが送られてきた。

その内容には以下のような文章が綴られていた。

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【キャリアの問い】

■現在のキャリア■

今の会社に入社した理由は?

今の会社でしたかったことは?

何故今この会社を辞めるのか?何があったのか?

今この会社を辞めることを自分はどう感じているのか?



■今後のキャリア■

自分が働くうえで何を大事にしていきたいのか?

人生において自分がキャリアの上で成し遂げたいことは何か?



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など合計15個の質問が並べられていた。

一個一個の質問を自分に問いかけ、ノートに書き記していった。

すると、入社半年で会社を逃げ出し、"現実逃避をしている自分"を認めなくては

ならなかったのがとても辛かった。


その後、Aさんと合流し問いの答えを真剣に話した。

Aさんからは厳しい指摘もいただきながら、私を受け入れてくたことに胸がいっぱいになった。


色々と考えた末に、私はその日の晩に広島の会社に電話し、仕事を辞めたい旨を伝えた。

当然怒鳴られるかと思ったが、上司は呆れたのか引き留めることなく了解し、

仕事の引き継ぎも含めて月内で正式に退職することとなった。


希望を胸に再スタートするも借金の催促に怯える日々


新卒の会社を半年で辞め、再スタートすることになった。

転職先はAさんの会社に決まった。

実は私が新幹線で東京に帰ったその頃、Aさんは新たに社員を募集し、

事務所を構え新たなスタートを切ろうとしている真っ只中だったのだ。


こんな偶然なことがあるものかと思ったが、これが”縁”というものだろうと嬉しくて

仕方なかった。憧れの方であり近いビジョンを持った方と仕事が出来る。

こんな恵まれた環境はそうそう無いと思い有り難く話を受けさせてもらった。


事務所を都内の高級住宅街に構え、会社の経営戦略から事務所内の備品の購入、

デスクの組立や取り付けなど自分にできる仕事はなんでもやった。

だが、残念ながら中々ビジネスは軌道に乗らなかった。


当時、社長であるAさんとキャリアカウンセラーであり恋人であるBさんと

3人で仕事をしていたが、売上を上げるために連日のように終電まで働き、

それぞれの体力は限界に近づいていった。

売上が上がらないストレスからか、ミーティングでは怒号が飛んだり泣き叫んだりと

異様な状態が続いていたように思う。片目の痙攣が治まらず、

簡単な仕事の依頼の意味が理解できず完全に脳がパンクしてしまったこともあった。


それでも仕事の意義を感じ、顧客から沢山の感謝の言葉を貰えたのは本当に有難いことだった。

一方で、避けては通れない問題がついに目の前に現れてしまった。それは、「お金」の問題だ。


入社時点の段階から、売上が全く立たない場合に給与が支払えない可能性があるということを

事前に聞いていた。それを承知の上で入ったし、そこに今でも後悔は全くない。

ただ、どこかで上手くいくだろうという甘い考えがあった。


半年間、売上を出すことにほとんど貢献できず、貰える給料は交通費のみだった。

最初は給料を食い潰していたがあっという間に底をつき、銀行から借金をした。

最初は10万、20万と小さな金額で済んでいたが一向に売上が出せず、

とうとう借金は100万まで膨れ上がってしまった。

銀行から2社、消費者金融から4社から借金をした多重債務者になってしまった。



あろうことか無知な僕は、その借金の返済を幾度となく延滞してしまった。

返済日翌日からの電話の着信に怯えながら仕事をしていたのを今でも覚えている。

最初の内は女性の方が優しく対応してくれてるのだが、返済が何日か滞ったり

電話に出なかったりすると男性の低くて威圧的な対応に変わり、電話を持つ手が震えた。


借金の相談もAさんや家族にすれば良かったのだが、恥ずかしさやみっともなさ、

これ以上今の会社に関われなくなるのだろうなどと思うと相談出来なかった。

これでとうとうブラックリスト入り。手も足も出なくなってしまった。


家族にも迷惑を掛けた。会社から自宅までに帰る交通費が足りず、父に最寄駅まで

お金を持ってきて貰った。駅の改札口で5千円札を受け取った時の父の悲しそうな表情は

忘れられない。生活をする方法が絶たれ、仕事をするどころの問題では無くなってしまい、

必然的に会社を離れてしまうことになった。


2度目の転職、堕落した日々


明日の生活費を稼がなくては生きていけないという思いで見つけた仕事は、

新聞の勧誘員だった。給与体系は完全歩合制。契約を取れたらその日にお金を

貰えるのが魅力的だった。営業自体は比較的自信があったので、

程なくするとそこそこの給料を稼げる様になった。


しかし、営業中は誰かから監視される訳でもなく、業務報告に関しても契約件数の報告のみ

の為、いくらでもサボれてしまうのが私には良くなかった。


「朱に交われば赤くなる」という言葉の通り、意思が弱かった私は

徐々に先輩とサボるようになってしまった。

車中で1日寝るときもあれば、漫画喫茶でくつろぐときもあったし、

パチンコ屋で遊び呆けた日もあった。


そんな生活をしながら毎月最低限の借金だけ返し、残りは生活費や娯楽費に

消えていった。当然貯金も溜まらずダラダラとし日々を過ごし、気付けば1年が経とうとしていた。


そんなある時に、ポンポンと契約が決まったこととパチンコで大勝ちしたことが重なり、

手元に30万円ほどのお金が残った。私は明日働く理由を失ってしまった。

「明日ご飯を食べれるだけの生活費を稼ぐ」という目的は満たされてしまった。

仕事に身が入らず、契約も徐々に取れなくなっていった。

私は程なくして仕事を辞める旨を伝え、会社を去った。


この時には既に「何の為に働くのか?」という問いに対する答えはさっぱりわからなく

なっていた。学生の頃に抱いていた希望や夢は儚く散り、社会の競争に負けた負け犬なのだと

本当に思っていた。


私は、周囲からの見え方や評価を気にする大人になり、こうだけはなりたく

ないと思っていた"ちゃんとした会社で""安定したお給料を貰える会社"への就職を希望する

無個性な社会人を目指していた。働く理由の名目を無理やり与えて自分を奮い立たせる

ことで何とか自分を保とうとしていたのだと思う。


私はハローワークに駆け込み、社会人生活3年目にして3度目の転職をすることになった。


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何事も長続きしない半端な僕がたった1つの譲れない仕事感に気付けた話。-10万回の電話営業編-(3/3)

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