【40歳の高齢出産】逆子だった私を帝王切開で産んでくれた母への想い

私は高齢出産の帝王切開で産まれた子供です。
そうして産んでくれた母をとても尊敬しています。


"高齢出産"は、35歳以上の出産のことを指します。私は母が40歳のときにできた子供でした。姉が居るので初産ではなかったけれど、姉を産んだ時も母はすでに36歳。

姉の出産のときもそれなりの難産で、姉が産まれたあとに妊娠したときには流産をしてしまったそうです。その難産と流産を乗り越えてできたのが私でした。


産むことに迷いは無かったのか、いつだったか聞いたことがあります。
経済的にも恵まれた家庭ではなかったし、実際私は1歳頃にはもう保育園に行っていて、いつもパート終わりの母が空が薄暗くなる頃に自転車で迎えに来てくれていました。(20年以上前のことで、今ほど共働きが当たり前な世の中ではなかったと思います。)

そんな苦労が待っていると分かっていながらも、何故産もうと思えたんだろう。

そう聞くと母は「授かりもんだから」と笑っていました。


姉も私もいわゆる「逆子」というやつで、出産は帝王切開だったそうです。
今の時代はどうか分かりませんが、まだまだ「自然分娩を乗り越えてこそ母」というような風潮が強かったらしく、肩身の狭い思いをしていたようです。


自然分娩で痛みに耐えて産んだから偉い、立派というような、帝王切開は「手抜き」とでも言いたげな空気があったようでした。それでも母はいつも笑っていました。


高齢出産は産んだあとも大変そうでした。


保育園、幼稚園、小学校、中学校。高校まで行くと親の介入はだいぶ減るので私は気になりませんでしたが、周りの若いお母さんたちに遠慮がちで、少し居心地が悪そうな母を見るのは、子ども心に申し訳ない気持ちでいっぱいになったものです。


参観日に若いきれいなお母さんが来る友達が羨ましかったこともあるし、
彩りの少ないお弁当が恥ずかしかったこともありました。


でもパートをしながら学校行事にできるだけ参加してくれて、若いお母さんたちに気おされながらも見守ってくれた母にそんなこと言えなくて、いつも素直に「ありがとう」と言うことができませんでした。

そんな私に母も遠慮するようになって、「こんなお母さんでごめんね」とよく言われたものです。なんてひどいことを言わせてしまったんだろうと思うけれど、母にそんなことを言わせてしまう自分のことが嫌いで、素直に「そんなことないよ」と言えなくて、今思い返してみると、お互いに不器用な親子だったなと思います。


ハタチの成人式の時、レンタルとはいえ振袖は中々の値段がして、渋い顔をした父を説得してくれたのも母でした。時給何百円のパート代をこつこつ貯めたお金で、振袖を着せてくれました。
振袖を選びに行って、その日に前撮りも済ませました。
そのときカメラマンさんが気をつかって、「お母さんありがとうって言ってみようか」という指示をくれました。普段は恥ずかしくて絶対言えない言葉ですが、初めて着た振袖と、眩しい照明と大きなカメラのおかげで、初めて「お母さんありがとう」という言葉を口にすることができました。


そのとき母が涙を流して頷いていた姿を、きっと私は一生忘れないと思います。
あれから数年たったけれど、後にも先にも、母の涙を見たのはこのときだけです。


実家は飛行機の距離で、頼れる人も少なく、周りのお母さんは若い人ばかり。
そんな心細い環境のなか、授かりものだからと私を産んでくれた母。自分が母であることに罪悪感を抱きながらも、姉や私を産んだことには一切後ろめたいことを言わずにいてくれました。

リスクの高い出産を乗り越えて、帝王切開という偏見にさらされても、産んだことにひとつの後悔もないと思ってくれる親というのは、とても心強い存在です。


母の姿を見ていたから、自分は絶対若いお母さんになるんだ!と意気込んでいたのに、どうやら私も高齢出産になりそうな予感がします。でも、それも悪くないなと思います。


子どもには私と同じような、ちょっと複雑な思いを抱かせることになるかもしれません。
でも、どんなリスクも、どんな周りの目も、授かった子どもという存在には敵わないのだと、
自分の「母親」という姿を見て育つ子が、そう思ってくれたら嬉しいです。

いつか母に孫を抱かせてあげられる日が来たら、
人生で二度目の「お母さんありがとう」を言えたらいいなと思います。


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