【おっぱいセクハラ記】欲情の視線に耐える女の日々は、胸が膨らむ時期から始まる⑷

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ここまで書くと、うちの母親は「愛情のない、デリカシーのない、ひどい母親」に映ると思う。

実際に随分と長い間、冷血でひどい母親だと感じて生きてきた。

だけど、主観は真実じゃない。


うちの母は、根っからの真面目人間で、努力家で、忍耐力も並大抵ではない。

不器用で、嘘がつけず、融通がきかず、女性だというのにゲームのキャラクターの「ゴーレム」がイメージとして浮かぶほど、ガチガチの昔堅気な田舎のおばさんというだけで、決して悪い人じゃない。


私には、独自の人間分類法がある。


私の中で母は、ジブリの「火垂るの墓」の登場人物の「主人公に辛く当たったおばさん」に分類されている。


主人公目線で言えば「辛く当たったおばさん」に違いない。


おばさんの実の子供の目にも「我が母親は、利己主義で人情味のない、ひどい人間」と映ったかもしれない。


世間ではそう捉えられる人物でも、今の私には「愛の塊」に見える。


自分の大切に思う家族を守るためなら、命をかける。

命も惜しくない程の、深く、激しい愛情だから、勿論、自分が他者にどう評価されようと、何も気にしない。


大切な存在を守るためなら、手段は選ばない。

守るという目的を達成することだけが、最優先事項なのだろう。


偏愛と言われれば、そうなのかもしれない。


けれど、苦しくなったら育児を放棄し、子供を捨てる人がいる世の中で、子供への絶対的愛が、全く揺るがない。


何がどうなっても、守ろうとしてくれる。

ある意味では、理想の母親なのかもしれない。


その一点だけでは、うちの母親は天下一品だと思う。


その他、子供をちゃんと見ること、信じること、笑顔を見せてあげること、声をかけること、優しくすること等、全くできていなくても、愛情が本物なのは間違いない。


この母の激しさは、相手にしてみないと分からないと思う。


小学生の頃か中学生の頃かはもう忘れたけど、誰かのタレこみで会社にマルサが入ったことがあった。

その時、母は烈火のごとく怒り、エプロン姿のまま仁王立ちして、国税局の方に怒鳴り散らして、ドン引きされていた。


とにかく母は、誰にも媚びないし、ビビらない。


誰を相手にしても、清廉潔白で、自分が正しいと信じ切っている自信からくる強さを、全力でぶつけて「壁は叩き割る」くらいの勢いで生きている人だから、真正面から受け止めるのは容易ではない。


そんな母から見れば、繊細な私はとても軟弱に見えていたのだろう。


「子を谷底に突き落とすライオン」的子育てが、絶対的に正しいと信じて、実践してきた母親だった。


でもそれって、父親が男の子にすれば良くない?と思わなくもないけれど、その子育てのおかげで私は、男性的な思考回路と強さも手に入れた。


話しを戻して、父親と娘が一緒にお風呂に入ることから、少しだけ考察してみる。


大多数の女の子は、子供の体に変化が現れる頃には、父親と一緒にお風呂に入りたくないと感じると思う。


私もそうだったし、友達もそうだった。

だけど、そうじゃない人もいる。


芸能界で有名なのは、津川雅彦さん親子で、娘さんが成人しても一緒にお風呂に入っていたというエピソードに、強い嫌悪感を感じた。


調べてみると、大人になっても父親と一緒にお風呂に入っていた女性芸能人の方は、他にもいらっしゃって驚いた。


可能性を考えてみると、もしかしたら母も、成長した体を父親に見られても、一緒にお風呂に入っても、何も感じない子供だったかもしれない。


子供の頃に、胸が膨らんできて、ノーブラでいても、羞恥を感じなかったのかもしれない。


私が辛く感じてきたノーブラや、父との入浴を、理解する感覚を母が持っていなかったとしたら、私の気持ちは母に理解されなくても仕方がなかったかもしれない。


結局は、私がとても辛い経験をした日々は、違った感覚を持ち合わせている母と私の組み合わせが悪かっただけで、誰も悪くなかった。


今だから分かることも、子供の頃の私には、当然分からなかった。


その結果、私は分かりやすく「グレた」。


中学生になって、持って生まれた反骨精神の強さが開花して、大人を敵視し、大人限定で「触れれば傷つけるナイフのような子」になった。


私が中学生の頃は、中山美穂さんが大人気で、「ビーバップハイスクール」というヤンキー映画が大ヒットしていた。


高校生が、ヤクザみたいなケンカを繰り広げ、血まみれでボロボロになるような青春ストーリーの映画に、田舎の中学生の一部の子は、簡単に影響されていた。


暴力沙汰で新聞に載るような事件を起こす中学生が多発して、先輩に体育館の裏に呼び出される子も多かったし、それは私も経験した。


そんな家庭環境と時代背景の中、小さな女の子は、小学校を卒業し、中学生になった。


徐々に膨らんでいく胸への視線は、最初は興味本位や珍しさ、冷やかしの色が濃かった。

それが、明らかに性的な視線に変わったと感じ始めたのは、中学に入ってからだった。


中学生になったというのに、身長が140センチに届かないことで、私は必死に牛乳を飲み始めた。

給食の時間になると、牛乳を嫌いな子からほぼ毎日もらって、400ccの牛乳を飲む日々が続いた。

そのせいなのかは分からないけれど、身長は伸びないくせに、胸だけがどんどん育っていった。


二年生になると、男子から家に、匿名のイタズラ電話がかかってくることもあった。


「ロリコンAVにはいつ出るの?発売されたら買うから教えて」


そう言われて、なんと答えていいのか分からなかった。


当時は、今のように携帯電話もインターネットもなくて、家に帰れば家事をしたり、弟の面倒をみるので忙しかった。

相変わらず、友達と家を行き来することのなかった私は、性的な情報に触れる機会もなかったし、ロリコンの意味も知らなかった。


堀江君の著書「ゼロ」にも書いてある通り、田んぼと茶畑とぶどう畑に囲まれた田舎でグレていても、バスも繁華街もないから、何もすることがなかった。

おまけに、8歳年下の弟は、母より私に懐いていて、私がいないと泣いてしまうから、家に帰らなきゃいけない。


子供でありながら、私は母親でもあった。

実際に弟は、小学生の低学年の頃まで、私のことを「みっちゃんママ」と呼んでいた。


まだ4、5歳の可愛い弟と一緒に、NHKの子供番組を見てあやしているような生活をしていた中学生の私は、あまりにも無垢で、男子と子供の時みたいに無邪気に接することができない状況に、ガッカリしていた。


階段の上に数人の男の子が立って、セーラー服の胸元を上から覗かれていたこともよくあったし、掃除の時間に膝をついて床を雑巾掛けしている時は、前方からニヤニヤと見られていた。セーラー服の胸元が大きく開いていて、谷間もブラも丸見えになっていることに、しばらく気づいていなかったせいだった。


そうして友達だった子に、性的な目で見られるようになったことで関係が変化してしまったことが、本当は寂しかった。


だけど、チビでボインで気の強い、拗ねてしまった女の子は、素直にそう言えなかった。チビなくせに、男の子相手に、下から襟首掴んで、ケンカしたこともあった。


中学生の頃は、消化しきれない色々な想いに、いつも苛立って生きていた。

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