【末期がんの父に贈った病院ウエディング】めげない心が起こした奇跡

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「国語も算数も全部できなくていい。

ただ、

これだけは誰にも負けないという

たった一つの道を見つけなさい」


小学生になったばかりの私に、父が言った。

普段、こんな真面目なことを言わない人だったから、

この言葉は、私の胸にグッと刻まれた。


それからいつもこの言葉は胸にあった。

だけど、

「たった一つの道」は見つからないままだった。

だって、簡単に見つかるものじゃなかったから。

もう、探すのも辞めようかと思った。


だけど、

30歳になったとき、

ようやくその『たった一つの道』を見つけた。



父の死と引き換えに。


*・*・*・*・*・*・*・*・*


アラサー・独身・夢なし 私は何をやりたいのだろう




一年の半分近くは雪に囲まれる生活。

そんな雪深い街に私は生まれ育った。


山形で生まれ、

山形で育ち、

山形の看護学校へ進学し、

山形の病院へ看護師として就職し8年目になった。


どこにでもいる田舎者。

家族も、ごくごく普通だ。

いや、

父がちょっぴりひねくれているとか、

短気とか、

その程度の変わったところはある。


父は自動車整備士。

この道一筋だ。

私が小学生の頃まではディーラーに勤めていたが、いきなり独立を決め、

家族の反対を見向きもせずやってのけた。

それから町の小さなくるま屋さんとして細々とやってきた。

父はいつも油まみれで、青いつなぎが黒ずんでいた。

父の構えた店も、お世辞にも綺麗とは言えない。

ところどころボロボロで、

「ペンキ塗り替えた方がいいんじゃないの?」と、

おもわず言いたくなるような外観だ。

しかし、

父にとっては自分で築いた城のように大事なものらしい。

どこかに出かけた後は必ず、自分の城の見回りに行く。

家族旅行の最後の〆は、必ずと言っていいほど城の見回りだ。

誰からも羨ましがられないような城の主だけれど、

「俺が決めた道だ」と、

照れながら言っていた。

父は、この城の主ということだけは、

誰にも負けないでいるようだった。


そんな父の娘である私は、

顔も性格もよく似ている。

ひねくれたところが特に。

素直に「ありがとう」とか「ごめんなさい」がなかなか言えない。

一番近い存在である、家族に対しては特にそうだ。

大事な人になればなるほど、恥ずかしくて言えない。


父も全く同じで、

母が作った卵焼きを食べたときも

「まずまずだな!」と

照れながら言う。

大好物のくせに。

長年連れ添っている母に言わせてみれば

「お父さんの言う『まずまずだな』は、百点満点と言っているようなもの」

らしいのだが、

他人にはなかなか伝わらないだろう。

私も、そんな照れ隠しのようなひねくれたところがそっくりなものだから、

おかげさまで恋愛下手になってしまった。

アラサーと呼ばれる歳になっても、

なかなか結婚相手が見つからずにいた。


結婚もできないし、キャリアップも迫られる時期だし、

どうしたものかと頭を悩ませていた。


看護師の先に、私のやりたいことがあるのだろうか。

かと言って、他にやりたいことがあるわけでもない。

ところで私はどうして看護師になったのだろう……。


ああ、そうだ。

高校二年生、進路に迷っていたときの母の会話を思い出す。


お母さん、進路どうしよう。
何になりたいかなんて分からないよ。
うーん、そうだ!
看護師なんてどう?
一生ものの資格だしね。
あなた優しい方だし、向いてると思うよ。
看護師かぁ……。


それから看護師になることを意識した私だが、

決め手はこれだった。


お父さん高血圧だし、
看護師のいうことなら素直に聞いて、塩分控えめな食事をしてくれるかも。


なんだかんだ言って私は、昔からファザコンだった。

小さい頃、父が家に帰ると一目散に玄関まで走って行き、

「おかえりー!」と抱きついていた。

父も私のことをとても可愛がってくれ、

「一生嫁には出さない!」と言っていた。


しかし25歳を過ぎたあたりから

本当に嫁に行かないのかと心配し始め、

早く嫁に行け、と言うようになった。

まあ、それに対して私も

「結婚したから偉いってわけじゃない!」と口答えしていたけれど。

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