不幸だけど幸せ。「人生に無駄がない」と心から思えた私の向かう道

私は東京の端っこ、俗にいう都下に生まれた普通の女の子…。

のつもり。
でも物心ついた頃には、ちょっと周りとは違うなってことがわかってきたんだ。

そんな一見変わった私の半生を語る前に、まずは両親から紹介させてください。正直なかなかパンチのきいたステータス。

前妻に先立たれ二人の子持ちで母と再婚をしたうちの父は、戦時を生きた人。
といっても戦争に行ったわけではないけど、父の故郷・広島に原爆が落ちたとき、父は14歳の誕生日の前日だったそうだ。
そんな父はというと私が幼い頃から忙しく、幼稚園や小学校のイベントには来てくれなかった。
でも二つ下の甥っ子が同じ幼稚園に入ってからは見に来るようになったんだよね…まぁ小学校からまた来なくなったけど。

そのかわりに父親参観や運動会のお父さん役には母の兄である叔父が出席してくれていた。
そんな感じだから、今でも幼い頃からの友人は、私を溺愛してくれていた叔父を私の父だと思っている。でも訳があって、もう20年以上会えてない。その[訳]のお話は追々…

そして母は父よりも20程年下。
いわゆる年の差婚っていうやつだ。

もちろん当時、年の差婚が多くない時代、母の家族は猛反対だったそう。

結婚当時20代半ばで、銀行の本店というこうキャリアで働いてた母は、なぜ二人の子連れで、しかもそんなに歳の離れた父を選んだのか。
これだけの情報を聞けば、父がどんなにいい人であっても母の家族が猛反対するのも正直納得だ。
その上母は、都内のそれなりに裕福の家庭で育った末っ子。
結婚するまで一人暮らしもしたことがないし、失礼かもしれないがそれまでこれと言った苦労は経験していなかったと思う。

私はこんな母が、そんな普通ではない事情の、さほどカッコ良くもない背も小さい父と結婚する理由がわからなかった。

また父は会社を経営していたが、ずば抜けて儲かっていたようには見えなかった印象も…
社員3名ほどの小さな会社。
何より母と出会ったころは、商店を二つ持つだけの個人事業主だったとも聞いていて、母曰く、母が卸業まで事業拡大に踏み込んだと聞いている。

となるとお金持ちという理由は消える。
むしろ、お嬢様女子校を卒業し、有名銀行で働いていた母の周りには父なんて比じゃないお金持ちが沢山いたはずだし、母の若い頃の写真を見る限り、容姿もそこそこだ。

母や叔父叔母にも、母の若かりし頃のお金持ちの男性の話や、母が学生時代ちょっとやんちゃで派手だったという話を聞いたが、その点からも母が男性に困っていたようにも思えなかった。

なのになんで?
子供の頃、周りがお父さんとの楽しかった話をするたび、父の忙しさを寂しいと思うたび、

なんでこの人を選んだんだろう。
そんなことを考えていた。

もしかしたらこの疑問は、
状況は違えど、親に厳しく叱られたり、喧嘩するなど様々な状況で、誰しもが考える課題なのかもしれ

だから私がこの謎を理解できたのは、ラッキーなことなんだろうと思い、ここに語ることにしたのだ。

さてあらすじの両親紹介はここまで。
次回は壮絶だった二人の連れ子と母の関係から。私が今でも悲しく思う冷え切ったお話をご紹介します。

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