女の「嫉妬」をかわせないと「女」として生きていくのは大変な話。




 白雪姫の継母。あれは原作では実母という設定のようなのだけど、私の実母はコンプレックスの塊で小さいころから私と競い、私が羨ましいと、本気で怒り、おまえはずるい、と言われ、よくいじめっこが一人だけ仲間外れにする要領で、母親は私だけをハブいた経験を覚えている。



 そんな酷いことをされても、母親を嫌いになれず、母親に好かれようとして、お母さんのご機嫌取りをしていた小さい私。あとから母親の性格に偏りがあることや、精神面が弱いことを小学校高学年で知るのだけど、その時はわからないので、困惑の毎日でした。


最近知ったニュースで、妹と弟は祖父母のところに避難してくらしているのに、長女だけ「お母さんがかわいそうだから」と一緒に暮らして虐待をうけていた、金魚を30匹食べさせられたという記事をみて、そこまでではないけど、私も精神的に母親から虐待を受けていたわけではないよね?と不安になって書いてみることにしました。


 誕生日は、中学生になるまで、祖父母と父親が言ってくれて、祖父に逆らえない母は、祝ってくれてましたが、高校生になって、祖父が事故死してから、お祝いは途絶えます。


 それでも、父の姉の叔母や、母の姉の叔母、祖母、にたくさんの愛情を注いでもらいました。


父の姉は、容姿は小林幸子を想像させる美人で、男前の祖父の容姿を受けついでいて、いとこも明るくて可愛い、友人が多い社交的な性格で、叔母は私の母のいけないろころをやさしい言葉で最初は教えてくれていましたが、暖簾に腕押し状態だとわかると、私たち子どもだけと接するようになり、母の文句をいうようになりました。


 最初は、母親の悪口を言われるのがわからず、悲しかったのですが、やがて私も実母から嫌がらせをうけるようになると、悪口のようになってしまったので、叔母も困ってつい口にでてしまったのだとわかりました。


 どんなにこちらが好意をもって接しても、相手が「悪意にしかうけとらない」ので、コミュニケーションが成り立ちませんでした。今思うと母は病気だったんだと思います。


 自分が母親になるときに、さて、母親は一体どう接していただろう、と思ったときに、

私には叔母だったり、祖母が私にしてくれたことを、自分の息子にやっていこうと思いました。


 見本となる母親が近くにいない人もいる中で、母親的存在がほかにもあったことが、私には良かったと思います。


 ほかにも、私には年上のお姉さんのような友人がおり、彼女は老若男女に好かれ、男性からもとてもモテていましたが、彼女から同性の嫉妬の交わし方を学びました。


 「独占すると出る杭は打たれるので、賞賛やモテたときはおすそ分けする」ということ。


それを怠ると、同性に嫌われるとのことでした。それを聞いて、私は実母が、私が祖父母や父親から愛されていて独占していると思って、意地悪しているのかなと思い、母親に意地悪されても、「お母さんのほうが私よりいいよ。私はお母さんが羨ましい。」と言ったら、意地悪が激減しました。


私は「あなたに負けてます」という姿勢をとることが、嫉妬の交わし方なんだなと実感しました。


車で一時間の場所にあるスーパーに、私だけ忘れておいていかれたことがあります。そのとき私はまだ幼稚園生でした。

 妹と、弟は連れてかえろうとしたようで、車の中んで「お姉ちゃんがいない、お姉ちゃんがいない」

そう、妹が騒いだから、引き返して戻ってきてくれたようで、気の強い妹で、喧嘩もするし、どうしようもない妹ですが、妹はそんな小さいときから私を守ってくれていました。私が守らないといけなかったのに。


 その時に、実母ではなく、「女の嫉妬」をかわせないと、女として生きていくのは大変だと思いました。


 結婚してからはお義母さんともひと悶着ありましたが、この方程式にしたがって、「私が負けました」と負けて、うまくやっています。


 いま、私には息子がいるので、私もお義母さんになるときがくるし、娘を産むこともあるかもしれません。それでもこの「方程式」を守って、なんとか生き抜こうと思います。




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