千手千眼観自在菩薩像の前でお坊さんの唱える般若心経をきいて号泣した話。
千手観音
"正しい名前は千手千眼観自在菩薩で、千本の手がありその手の掌には目が付いています。手は多くの人々に救済の手を差し伸べ、目は人々を教え導く知をあらわすとされています。このように千の手と目はどんな人達でも漏らさず救済しようとする広大無限の慈悲の心を表現しているのです。"
福岡県は糸島市、雷山千如寺 大悲王院。
ご本尊は冒頭で紹介した、十一面千手千眼観音です。
紅葉の季節は紅葉狩りに来る人たちで賑わい、駐車場に入るまでに来るまで行列を作るほど。
そんな、千如寺の観音様を紅葉狩りがてら拝観しに行った時のこと。
拝観を待つ間、ある案内を発見しました。
弘仁9年(818年)、大飢饉による疫病が広まった際、時の帝 嵯峨天皇は、弘法大師様のお勧めで般若心経を浄写し奉られたそうです。あわせて弘法大師様がご祈祷されたところ、霊験が顕れ、平安がおとずれた、とのこと。
その嵯峨天皇の浄写された般若心経はその後、霊経とされ、勅封として封印されて、弘仁9年が戊戌の年であったことから、60年に一度、戊戌の年にのみ開封することが慣例となっているそうです。
(参考:https://www.daikakuji.or.jp/shakyou-2/)
そしてその戊戌の年が平成30年にやってきます。
要するに、来る時に向けて、みんなで写経を奉納しよう!という案内でした。
「出家する代わりに写経が趣味(?)になった話。」でも書いたように
私が写経をする所以は、私自身の心を鎮めるためでした。
嵯峨天皇の徳の深さ、自分の浅はかさを目の当たりにした気分。
そんな気持ちに浸りながら、観音様との対面の時。
たまたま、観音様の正面、最前列に座ることとなり、観音様を見上げながら
千手千眼観自在菩薩像や、薬師如来像などの解説を聞く。
その後、手を合わせ、お坊さんの唱える般若心経を聞きながら、
そう思うと、よく分からない、いろんな思いが湧いてきて
そう思った瞬間に、心の中で何かが溢れ出し、気が付いたら、頬を涙が伝って、結局、般若心経の間ひたすら泣き続け、五百羅漢像を見るちょっと前まで泣き続けました。
仏像をみて、涙を流すことは、まぁあることだったけど、
こんなに、お化粧が崩れるほど号泣したのは初めてだったので驚き。
私も、平成30年に向けて、世のため人のために祈りながら写経をしようかなと思います。
とはいえ、深い信仰心があるわけではなく、単純に、
仏教のこういう考え方好きだな。キリスト教は、こういうとこは好きだな。
とかそういうレベルなので、やっぱり自分のことも祈りつつ
それと同時にふんわり、人の幸せも祈りつつ…それくらいの気持ちで始めてみよう。
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