アリゾナの空は青かった【11】ズッコケ三人組
「グリーンが来るよ。」
ツーソンに滞在して三週間ほど経ったある日、シェアハウスの友、ロブが言った。ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で、彼は前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たまたまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。
ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。当時わたしは留学兼、移住資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトをしていたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両に乗り合わせる外国人がいるである。
午後10時ともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw若くやたら背の高い、色が真っ白の典型的なアメリカ青年である。気をつけなくたって目立つと言うものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔だけは知っていたようだ。
それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学学校の上司マーチンさん、そしてイギリス人の同僚、ロブとで現れたのだ。その時のわたしたち、アリゾナ大学でわたしがザワちゃんんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」
ロブとブルースが働く語学学校のグループ。右手前が校長のマーチンさん
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。
そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。行こうよ!」という具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるでサイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かった。そのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると言うのだ。
そして、来ました来ました。 ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車を運転して二日ほどかけて、はるばるやってきたのであります。
久しぶりに顔を会わせたズッコケ3人組は早速すぐ側のソノラ砂漠へ出かけて、前座席に3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、とわたしの運転練習。今はどうか知らないが「車を前進させられれば免許がおりる」と言われたくらい、当時のアメリカでは、自動車学校などに行かなくても運転免許がとれたのである。
ソノラ砂漠で。ロブとグリーンと。
これだけ道が広かったら、さすがの運転音痴のわたしも何とかできそうだと思ったのがまちがいだった。
「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ、とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込みそうになり、横に座るブルースが慌ててわたしのハンドルを奪い取って切るのであった。終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を押されたのでした。
そんなわたしが、今では交通事故の多さでは世界で1、2を争うと言う、不名誉を冠する乱暴な運転のポルトガルで、奇跡的にもイッチョ前に教室の掛け持ちで車を駆使しているとは、二人とも夢知るまい。
サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。これに突っ込んだら・・・そしてこの背丈の差。ロブだけでなく、自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった。
夜ともなると、これまでに見たこともないデカいアメリカピザを3人でたいらげ、当時上映中の人気抜群、「SaturdayNight Feaver」を大学構内の映画館に見に行ったりしたのでした。グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、数日後には「またいつか」と再びミズーリーのいつもの生活の場へと帰って行った。
三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗りのことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。ミズーリーが彼のご自慢であった。
「ずっこけ3人組」はこれ以来再会することはなかった。
3人組の一人、ロブがフェイスブックを通じて35年ぶりにコンタクトしてくる2012年1月までは。
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