パーカーを恨んだ話

内弁慶を炸裂させていた小学校5年生ぐらいの僕は、同居している祖母にキレながら訴えた。
「パーカーがほしい!」
同級生が着ているフード付き(当時は「フード」という言葉を知らないので、「帽子」と呼んでいた)の服が欲しくて仕方がないから買ってきて欲しいとせがんだ。
普段は服がほしいなんてまったく言わない僕も第二次性徴の時期にさしかかり、そういう事を考えたようだ。
家は貧乏だったから、そんなに自由になるお金は無い。困ったねぇと笑うおばあさんはその場では首を縦に振らなかったけど、一週間ほど経ったある日、ニコニコしながらデパートの袋を差し出してきた。
パーカーだった。深く濃い青に白いヒモのパーカー。
すごくすごく喜んで、毎日着た。今はどこに行ったかわからないけど、当時は本当にうれしかった。そのパーカーを着ている時の自分はモテていると錯覚してしまうほど、心底惚れ込んでいた。
この話が切なくなるのは、後日そのパーカーが3万5千円もしたという話を聞いた後だった。おばあさんはパーカーなるものがそもそもわからなかったから、デパートの店員の勧めるがままに、高価なパーカーを買ってきていたのだった。
店員を恨んだし、パーカーを恨んだ。どうして僕の周りでは貧乏風がいつも吹いているのだろう?僕は自分自身の運命のようなものを恨んだ。
けれど、無知によって高価な商品を掴まされてしまったおばあさんのことは、まったく恨んでいない。おばあさんの周りに吹いている貧乏風はパーカーのフードですくい集めて、すべて僕が引き受けようと考えている。

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