原発のある地域はリスクを安易に考えない。責任なんてとれない状況になる、樽川和也さんの朝日新聞の記事を読んで。

私も福島県出身で、実家はもろに放射能の被害を受け、実家の自営業は社員をほとんど解雇し、築き上げたほとんどを両親は失いました。






 それでも、父親の仕事がピンチになって、実家も今後住めるようになるかわからない状態になってくると、原発の恐ろしさを痛感しました。



 この樽川さんの記事でこれはと、思ったのが「原発のある地域でまたこういうことが絶対に起きないという保証もなければ、なったときも、いまでさえ責任といっても、賠償金にも限界があるし、すべてを失うこともあるってこと」を知らせようとしているのが、とても伝わってきました。




こればかりは、経験者の体験談を読んでも、いまいち実感のない人が多くいると思います。福島は場所が悪かった、想定外の津波だった、あれ以来結局そんな大きなことは起きていない、原発なくすと生活が困る人もいる、電気代も上がっていくし。


で、また同じことが起きて、同じような対応で、「被害者になってから騒いで」


 被害者になって騒ぐのは、今回きりにしましょう、と樽川さんは言ってくれている気がしたのです。


自分なら、どうですか?

 父親が自殺して、告発して騒いで目立てば、一躍ヒーロー。でも、目立つということは批判をされることもあるし、決していいことばかりではありません。



 「歴史」を学ぶのは、何度も実体験して気づくのではなく、失敗した誰かの話を聞いて「疑似体験して」二度目の失敗を「回避」するために学ぶと私は思っています。


「痛い思いをしないとわからない」のでは、「たくさんのものを失います」


 十分、福島県は損失しました。それでも、また立ち上がって、前を向こうとしています。東北が壊滅的でもなんとか持ちこたえられたのは、西日本がまだ稼働しているからです。


 東北も打撃、次は南海トラフ巨大地震も起きてしまうと、国内でどうにもならないような気がしています。


真剣に、原発以外のエネルギーの確保を急ぎ、原発は無くしてしまうのが、私はいいと思っています。すぐには難しいとしても、可能な限り早急に代打エネルギーを確保して、危険因子はなくしてしまうことが「二次災害の予防」と考えます。


 大切なものを、失っていない人は、どこか映画や他国で起きたことのように他人事のような感じがしている人を私も見たことがあります。自分のことではないのに、自分のことのように悲しみ、行動してくれる人も今回の震災の体験をしていなくてもいることも知っています。


 ゲリラ豪雨が降ったり、地震が頻発したり、震災がおきたり、明らかに地球の様子がおかしいことは

気づいてきていると思います。


 どうか樽川さんの声に耳を傾けてください。


だいぶ、日本人は減ってきています。そして少子化と言われています。

「変だな」と思う感覚を大事にしてください。


 明日は我が身、と思って行動していこうと思います。



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