インドの洗礼 第2章 その7 〜棺桶とミルフィーユ
「スリや置き引きも多いので、金目の物とパスポートは、肌身離さずに」
と、「地球の歩き方」は、インドの寝台列車事情を説く。
列車に乗り込んだ俺達は、その狭さと薄暗さ、そして俺に突如訪れた「カタストロフィ」のこともあり、胸中穏やかではなかった。
しかし、この列車に乗って移動しない限り、前進むことはできない。
今出来ることと言ったら、災難に可能な限り備えることと、無事を祈ることだけ。
大量の札束を空港で両替し、かつ不特定多数にそれを目撃されてしまっている俺達は、対策に余念がないのだった。
服の下に、薄めのウェストポーチを装着し、そこに「最重要資産」たるパスポートを収納。幾ばくかの現金も合わせて格納。
そして服の上に、ティッシュやペンなどの重要度の低い資産と、残りの現金を入れた別のウェストポーチを装着した。
服の上のウェストポーチは、言わば「デコイ(おとり)」。真に重要なパスポートなどの資産を守るための、捨て石なのだ。
更に、リュックにはダイアル式の鍵を掛け、鍵ごと持って行かれないように、紐で体と結び付けた。これで身体ごと持って行かれない限りは大丈夫だろう。
何せ、物の値段が付いておらず、初対面なのに「アケボノ!」とか声をかけてくる人々が溢れる国なのだ。電車の中で無防備な寝顔を気軽に(?)晒せる日本とは勝手が違う。
俺達は、万全過ぎるくらいの準備をして電車に乗り込んでいた。
今夜の寝床は、通路と申し訳程度に布のカーテンで仕切られているだけの、簡易な3段ベッド。その広さは、カプセルホテルの部屋程度。
「狭いなーオイ」
ベッドを一瞥した友人が思わず呟く。
特に1番下の段は薄暗く、寝そべってみると心理的なものもあってか、かなりの圧迫感を感じた。
1番下の段は、避けたいな。。
幸いにもベッドの位置決めジャンケンで勝った俺は、少しでも安全そうな一番上の段を選択した。ギシギシ軋むハシゴを登り、1番上の段に寝そべってみる。
1番下より幾分マシとは言え、やはりここもかなり窮屈。
寝そべっていても天井に手が届くその薄暗い空間は、なんとなく棺桶の中を連想させ、息苦しかった。
社交的な友人の1人は、何やら隣のインド人家族とじゃれていたが、腹痛であまり体力的にも気持ち的にも余裕がない俺は、その輪に入る気になれず、そっとカーテンを閉めて1人になった。
横向きになると幾分腹痛が楽だったが、とにかく寒かったので、毛布を被って丸くなる。
Tシャツの上に直に毛布を被っていたので、チクチクして不快だった。
「寒かった」というのは、つまりは冷房によるもの。
屋外はムッとする暑さのインドだが、空港やホテル、コンビニなど特定の場所では、冷房がやり過ぎなくらい効いていることがある。
設定温度18度とかにしてんじゃないかアレ。
汗染みを作ったシャツでこの「特別区画」に入り込むと、暫くは天国だが、過冷却されると逆に地獄のダルさに悩まされることになる。体調によっては、多分風邪を引いてしまうだろう。
この時は、効きすぎの冷房と腹痛のダブルパンチで、なかなか寝付けなかった。
やがて時間が経ち、夜が深くなると、話し声や子供のグズる声でざわついていた辺りは徐々に静かになってきた。だが、時に夜の静けさの中では、時計のチクタク言う音や、風に吹かれた木々がたてる音が、妙に気になることがある。
この時は、どこからともなく、押し殺した声で男女の会話が聞こえてきた。
何を言ってるか聞き取れない程度の音量で、2倍速の英会話のテープをエンドレスでかけっぱなしにしているのが聞こえてくるような感じ。
うるせえな、くそっ。
気にするな、と自分に言い聞かせるほど気になる負のスパイラル。もがけばもがくほどはまり込む泥沼状態。
唐突に、別の場所から爆発的な放屁。
爆弾テロかてめえ。
やにわに始まるイビキの大合唱。音程もリズムもデタラメの不協和音が、指揮者不在のまま高らかにホールに響きわたる。修学旅行で、なぜか自分だけ寝るのに取り残された的シチュエーションだ。
寝なきゃ。寝なきゃ体力もたない。
そう焦れば焦るほど、寝られなくなるこの天邪鬼。
腹痛、悪寒、エアコン、ヒソヒソ話、そして放屁にイビキ。
これぞまさに、艱難辛苦のミルフィーユ。食傷ぎみの俺。
そして、こんな時に限って、なかなか通り過ぎていかない意地悪な時間。
嗚呼、なんとインドの夜の深く長いことよ。
だが、明けない夜はない。
夢とうつつの狭間を行ったり来たり、寝たのか寝てないのかはっきりしないまま、ようやく朝を迎えた。
ムカつくくらい、無邪気に明るい朝だった。
続く
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