facebookでメッセージを送った相手が次の日死んでしまった話 カネ無し・コネ無し・コトバ無し・英検5級で海外で仕事②

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前話: facebookでメッセージを送った相手が次の日死んでしまった話 カネ無し・コネ無し・コトバ無し・英検5級で海外で仕事①

きっと凄い盛大なドッキリでホストマザーは普通に生きている。

いや、台風が上陸したなんて、まだ信じられませんでした。


そして私は1週間休暇を取り、フィリピンへ向かうことにしました。

名古屋国際空港(セントレア)からフィリピン(マニラ)へ。マニラで1泊し、マニラからレイテ島へ向かいました。


タクロバン空港へ到着すると、空港の荒れ果てた姿がありました。

空港へ続く道も大きく変わっております。


台風から5ヶ月経ちましたが、潰れた家が多く、復興はまだまだです。

よく使ったレストランも、柱と屋根枠しか残っておりません。




道路の中央分離帯に墓地が沢山ありました。


地元の方に聞くと、台風後に遺体を埋める場所が無かったので、仕方なく空いている道路の中央分離帯へ墓地を作ったのだと。


今回の台風で多くの方が亡くなったのですが、墓標の数が少なく違和感を感じました。


墓標をよく見ると、1つの墓標に多くの方の名前や家族の名前が刻まれております。

つまり1人の墓標でなく集団墓地でした。



本当に改めて多くの方が亡くなったことと、

台風の悲惨さが身に染みて分かりました。


そして2年半お世話になったホストファミリーの家はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)

から支給されたテントを使ってました。


私もこちらのテントで数日間供に寝泊まりしましたが、昼間このテントとても熱く、その熱さ(余熱)が夕方まで残り、寝苦しい夜とデング熱を持つ蚊に悩まされながら過ごしました。


そして青年海外協力隊時代にプロジェクットを立ち上げ作成した、魚の養殖場へ行きました。

レイテ島へ来る当初から気にしてましたが、どうなってるのか心配でした。


しかし養殖場へ行く前から既に漁民の雰囲気で心配です。



確か空が見えないほど、ココナッツの木があったと思うけど・・・
漁民
台風で倒れたり、折れたりして無くなっちゃったよ。
・・・。

この時点でそうとう凹む。

そして恐る恐る養殖へ行くと・・・


養殖場は台風の影響で全滅。


苦労して刺した竹枠も、雨の中取り付けた網も無くなってしまった。

私は落ち込み、他の漁民も落ち込む。


漁民
・・・。
・・・。


しかし落ち込んでも仕方が無い。

漁民皆で集まり、今後どのように構築するのかミィーティングを行うことにしました。


仕方ない。とりあえずミィーティング開くから漁民の皆集めて。
漁民
ミィーティングはいつやるの?
いつまでも待っていられないから今日の午後1時から!
漁民
今日の午後1時!?
わかったよ。皆に声かけてみる。


急遽決めたミィーティングであったが、何と20人近く漁民が集まった。

どうやらレイテ島に私が来たことが町の噂になっていたらしい。


そこで漁民みんなのやる気を確認し、養殖場とレイテ島の未来について語り合った。

大切なことは、指示することでなく、やりたい事を聞き出し支援すること。


指示したものをやらせても、私が居なくなったりリーダーが不在になった場合、プロジェクトが止まったり無くなってしまう恐れがあるからだ。


もし彼らのやりたい事を支持し、本当にそれで収益が向上したら、彼らの自信につながる。

「漁業以外でも収益を得られた!」と自覚し、意識の改善が起きるからだ。


意見を聞き出し、本当に「養殖場を復活させたい!」という意見が多く出た。


私に出来ることは、被災地への義援金を上手く養殖場修理へ回すことや、JICAやNGO関連に情報を投げ支援をしてもらうこと。


そして幼児園から預かった大切な募金を渡すことぐらいだった。


募金は青年海外協力隊隊員が被災地で活動する際の、子ども達への活動費や文房具費に当てることにしました。


日本の子ども達の支援が海を越えフィリピンの子ども達への支援に繋がる。



「少しは役に立てたかな?」そう思い、最後の目的地に行く決意ができました。














最後までホストマザーの墓場へ行くことは躊躇しましたが、

やはり自分の目で確認しなければなりません。


そこには確かにホストマザーの名前が記載されておりました。

何というか「不思議な感覚」です。


ただ単に名前が記載されている「何か」を見た感覚です。

しかし、その夜。


確かに無くなったことを確認させられました。



それはホストマザーの娘が「GOHAN DESUYO(ご飯ですよ)」と私に夕食を持って来たのです。

「GOHAN DESUYO(ご飯ですよ)」という日本語は、ホストマザーが私へ使っていた言葉です。


それをホストマザーの娘が私へ”ホストマザーの真似”をして使っていました。

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