甘えじゃない!

病気という方は嫌いなんだけれど、


あえて「病気」という言い方で書きます。




わたしは、精神障害を抱えてます。発症は19際。今は30歳だから


もう4月で12年目。


思い返せば、すぐ治ると思っていた。だから、だからね気軽に考えていた。




ふつうに生活していて、企業に勤めて、一人で生活してきました。


精神疾患の場合って、親がよき理解者になるケースが多く、医者からは


何度も言われるのが、「親を頼るように」「親と一緒に暮らしたほうがいい」と何度も言われてきました。


模範解答みたいで、嫌いでした。






けれど、一度、一年弱、両親のもとで暮らしてみました。結果は失敗。入院を繰り返し、


あげく逃げるように東京に出てきました。




一緒に暮らす、それが誰しもできるわけではないと思う。


そして、必ずしも子供を理解する親ばかりではないと思う。


理解することだけが愛情でもないのではないかと思った。






そう思うことでしか、自分をそのとき正当化できなかったのかもしれない。

それは、理解できないと言われたから。


そうしないと、私自身がが崩れてしまいそうだったから。






おかしくなってしまいそうだったから。






話したいのは、


精神疾患だとか言って、軽々しくいったり、それを全面に出してるのがむかつくの!




だから何って?


泣き言言いたくなってくる。わたしだって、つらくなる。




愚痴っぽいお話しでごめんなさい。人それぞれ違うのもわかってます。




わたしは、精神疾患ってわかって大切な仕事を失った。


それなのに、今はそれが休職扱いですんだり。。。


わたしはタイミング悪かった。




同じ精神疾患の人が近くにいて、フォローしようねとか


そういうの幾度もあって






自分も「つらい」って言えればいいじゃないって。

言うだけなら、ただの嫉妬になっちゃう。

 




「病気になっていなかったら」って何度も思った。


なんでわたしばっかりって、悔しくて、あの時、なんで


あの歯車がとか、あの人に出会わなければとか…




でもね、そうじゃないんだよ




「病気になっていなかったら」私は、わたしでもなくなる






それにも気づかないことにはなしにしようって思った




今のこの人生を選んでいるのは、悔しいことに私自身なんだもん




あの時やめようとか思っても


わたしがこの未来のわたしを選んでいたんだ


そうじゃないといっても、きつい言い方かもしれないけれどそうなんだ。






今のこの状況は、偶然じゃなくて、必然で




だからこそ、今の状況はたくさんの必然でつながっていることがある




精神疾患は、甘える道具じゃない


日常を送れない気持ちの病気なんだ


風邪をひいたら、それを伝えるように

病気は伝える


助けが必要だったりするから




だからこそ、


周囲に知らせる必要があるかどうか





そこをはき違えてはダメなんだって、

12年目を迎える今、思うのです






みんなの読んで良かった!

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