親父
私のオヤジは精神障害に対して、全く理解を示さない。
どころか、拒否反応を示してしまう。
なので、私の障害は、性格の問題だと思っている。
終戦直後生まれの人間なんてこんなもんかもしれない。
だが、人並み以上に私のことを可愛がって育てたと思う。
決して完璧ではなかったが、ハード面では完璧に近かった。
私の母親が死んだ後も、不規則なシフトの国鉄(後のJR)に勤めながら、私に手作りの弁当を作り(これがさすが料理上手のオヤジだけありうまい)、掃除をし、洗濯をし、まぁ、仕事も家事も全てこなした。
私にはとても出来ない芸当だ。
ガキの頃には、同年代の同級生が絶対経験していないだろうと思われるポイントに、釣りに行ったり、山菜採り、きのこ狩りに行ったもんだ。
ま、私はその頃それがどれだけマニアックなものなのかは、理解していなかったが、友人と海岸を歩いたり、川岸を歩いたり向こう岸に渡ったりするテクニックは、私を置いて右に出るものはいなかった。
わかりやすいのは、機関車を小学生の私がが運転したことだ。
乗客はわからなかっただろうが、自分で考えてもおかしいというか怖いというか…。
あの頃は、まだセキュリティがそんなに厳しくなく、オヤジの仕事に同行することもできた。
実際に駅のホームから出た機関車は、2階建ての家くらいの大きさがある。
しかも走っている途中に、エンジンルームに入ったり、汽笛を意味もなく鳴らしたり、スピードアップしたりブレーキを踏んでみたりした。
機関車マニア、電車マニアの中でも、実際にDD51を運転した経験のある人は少ないんじゃないだろうか。
今はとっくに定年退職して、運転するなんてわけにはいかないが、墓場まで持っていける思い出なのは確かだ。
ん?
今、思いついたが、GW明けには仕事が始まる。
GW中に伝説の釣りポイント、矢越岬に連れて行ってくれと、オヤジに頼んでみようかな。
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