全くモテない19歳の女の子がいきなりオーストラリアに行ってそのまま永住し、イケメンと国際結婚して、ライフコーチになった話。第一回 全くモテない虐められっ子おっさん女子時代

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私は大阪の高槻市というところに産まる。

サラリーマンの父、専業主婦の母、歳の離れた2人という家族構成でかなり甘やかされて育つ。


3歳の時に大阪市に住むおばあちゃん宅へ三日ほど預けらることになる。おばあちゃんが大好きだった私はおばあちゃんと一緒に過ごせるのはとても嬉しかった。

が、その時、おばあちゃんが心臓発作を起こしてしまったのだ!それに一番先に気づいた私が救急車を呼んだそうな。いまだに3歳の子がどうやって救急車を呼んだのか謎ではあるが、そのおかげでおばあちゃんは現在104歳であり、おばあちゃんの一番起お気に入りの孫に昇任することになるのである。


この事件をきっかけに両親はおばあちゃんの家の近所に家を買い引っ越し。


4歳で初めて幼稚園に通うことになるのだが、、、、、これがまさか悪夢の始まりになるとはこの時誰も知らない。。。


4歳の私は年の割に背が高かった。引っ越してきた新入り、プラス背が高い、しかも色が黒い!というわけで私はまさかのいじめに遭うことになるのである。



「幼稚園の虐めなん知れてるやんか」


と思われるかもしれない。



実際幼稚園のいじめはかなりの陰険なものであった。幼稚園のトイレは万が一のためにドアがかなり低く作られている。そのためトイレ中に覘かれたり、手洗い中に水をぶっかけられたり、誕生日会に呼ばれ私だけお昼ご飯をもらえなかったり。。。


そんなまま小学校に行くのだが、同じ地域という事もありほとんどのいじめっ子と同じ小学校に行くことになる。


小学校でもまたいじめに遭うことになる。幼稚園のいじめっ子がリーダー格となり、今度は陰で文句を言われたり、遠足ではみごにされたりとまたしても陰険なものであった。



そんないじめから抜けたい!そんな思いで頑張った勉強に水泳。

まさかこれが新たな悲劇を呼ぶことになるとは。。。



塾に行っていない私であったが、



「もしかしたら勉強できたらいじめがとまるかも!」


そう言う思いから何とか頑張っていい成績が取れるようになった。そうすると今度は塾に行っている子からの被害攻撃をうけることになるのである。


そのストレスを晴らすために頑張った水泳。思いのほか2年で全国大会レベルまで成長してしまったのである。もちろん今まで頑張ってきた子たちはいい気はしない。このような理由で水泳学校でもかなり虐められることになった。



小学校の時に姉にポツリと嘆いたことがあるそうな。

「私の夢な、アメリカで銃で一発でやられて死ぬことやねん」


「うちの妹、やばいんとちゃうか?」


と本気で心配していたそうな。


小学生がこんなことをいうなんて相当思い悩んでいたんだろう。


こうやっていじめられ続けられ、私は一人でいることが平気になった。図書館は私の友達となり、学校の図書館、区の図書館の本をむさぼり食うように読んだ。特にお気に入りは日本の歴史の本であり、今のおっさん臭さはここら辺から地盤が作られているのであろう。


中学校に上がると今度はまた新たないじめが待っていた。


色が黒くて日本人離れしている、、、というわけであだ名はなぜか 「マンゴー」

味不明である。


意味不明である。


成績が良いから、といういじめはまだ続き、水泳が出来るから、というひがみも続き、今度は「モテるから」というわけのわからん理由で苛められることになる。


モテる???モテてないんとちゃうかったん?



と突っ込まれそうなのだが、実は全然モテてなかったのに、何故か学校で一番人気のある美女が好きな男の子だけにモテてしまったのだ。

こんな厄介な事はない。


この焼きもち美女に虐められることになる羽目に遭う。。。


これだけで終わればよいだろう。


背が高かった私はとても中学生には見えなかった。そんなわけで学校の先生からのセクハラを受ける羽目になる。

そんな中、中学生の私は同じ水泳教室の2つ上の男の子E君に恋をした。いじめを受けている中、唯一彼は私と普通に接してくれたのである。毎日練習の後で彼と一緒に帰るようになった。そんな彼に片思いして3年目の中学三年の時に意を決して人生初の告白する決意をした。

E君
「俺、お前の事そんな風に好きかわからん」



それがE君の返事だった。


このお蔭で私は一生告白なんかするもんか!と心に固く決めたのを覚えている。


とは言え、E君はその後も友達として仲良くすることになったのだが。


余談であるがE君は三年後に私に告白してきたのである!残念ながら私は振られてしまったことにあまりにもショックを受け彼とお付き合いすることはなかったのだが。


こんな不幸の連続の私の人生。私は


「高校はうちの地域から誰も行ってない高校に行ってやる!」


と英語科のある高校へ受験。

見事合格。自分の番号が合格通知に書かれていた時思わず感情的になって泣いてしまい、周りの人に



おばちゃん達
「この子、落ちたんやわ」



とささやかれていたのを覚えている。


この高校人生が私の人生を変えることになるとはこの時はまだ夢にも思っていなかったのだが。。。

虐められるばっかりの幼稚園、小中学校。


死に物狂いで勉強してやっと受かった高校。


この高校は一応共学なのだが98%が女の子、というほぼ女子高であった。


恋に焦がれた華の高校生活である。私は部活に彼氏に友達にといろんな妄想を抱いていた

有難いことに水泳部では水泳生活初めてのちやほや待遇されることになる。

元全国選手の私は市大会でも優勝し、リレーでも大活躍。高校史上初の快挙を遂げることができ、先輩から後輩まで本当に私の事を認めてくれ慕ってくれた。


そして初めていじめのない学校生活を送ることが出来た。こうしてオーストラリアに引っ越した今でも連絡し合える友達がいるのである。


高校でも勉強は頑張った。高校での夢は


「日本歴史の大学教授になること」


ここら辺でもすでにおっさん臭さを醸し出しているのである


とはいえ、海外へ留学するのは小学校からの夢であった。担任の先生に






Nori
「私オーストラリアの大学に留学したいです」
禿男先生
「あほか!お前の頭じゃ無理じゃ!」



と即却下。


推薦状を書いてもらう事ができず、こうして私のオーストラリアの大学への留学の夢は断たれてしまった。


今まで頑張って勉強してきてこの一言であるやはりショックであった。


が、留学する夢は諦められなかった。大学は無理でも大学院は海外に行く!そう固く心に誓ったのである。


そして海外に興味を持った私は一人でペンパルを訪ね上海へと旅行し、ペンパルがタイに留学したら今度はバンコクへ旅行する。


16歳の私に一人旅をさせてくれた両親に感謝である。まさに可愛い子には旅をさせよとはこのことであろうか。


この経験で私は海外旅行の虜になり、ひたすらバイトに更け、年に3-4回海外旅行に行くことになる。


ベトナムでは食中毒になり死にそうになったり、グアムでは現地の人と仲良くなってバーでご馳走になったり(未成年だったが)、マレーシアでは迷子になってどうしようもなくヒッチハイクしてホテルまで送ってもらったり(良い子の皆さんは絶対に真似しないように)、シドニーではツアー客と仲良くなって晩御飯奢ってもらったり、中国では空港を間違えたり、と色々学校では学べない経験をした。


こんな充実した高校生活であったが、やっぱり私はモテることはなかった。。。みんなが次々に付き合っていく中、私は彼氏とは無縁。。



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