『妻が「恥ずかしいから作業服で出勤するな、周りに見下される」と夫が悩みを明かす』という問題について僕が考えてみること。

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『妻が「恥ずかしいから作業服で出勤するな、周りに見下される」と夫が悩みを明かす』という問題について僕が考えてみること。



はじめに


こんばんは。僕はどちらかというとやや crazyなアプリ開発者です。

今日は超真面目にこの問題について考えてかつそれを明文化して表現するためにある程度の文字数を使うよ。

ただし、この件についてことこまかく隅から隅までの情報を確認をして書きこんでいるわけではないということはあらかじめ断っておきます。

また、この文章は推敲などは一切せずそのまま僕が考えたことをリアルタイムに文章にしただけのそのままの内容ですので、誤字やなんらかのミスは発生する可能性があります。

さて、まず僕たち人間がある問題や課題に対して、それをどのように考えるべきであるかということについて、それを明確に誰かから教わると言うような機会はなかなか持つことができないと思えるし、また何かについてそれを必ずこのように考えなければいけないといったような規則のようなものというのは原則としてはないものだと僕は思う。


・それについてある観点から(個人的諸環境、風習・習慣、宗教、なんらかの特性、etc)などによってある人がこのような考え方がより好ましいと考える傾向をそれぞれが持っているということは否定しがたいように思う

・それぞれの諸判断について客観的に言ってそれが必ずしも頭から間違っているという批判について本当に妥当かという判断ができるのかは実際的には難しさを抱えているのではないだろうか

・それについて分析した場合にその人の考える基準に対してその判断は間違っているんじゃないか?というような指摘ができる状況はあり得るだろう


僕たちの暮らす今現在というこの時代における例えば善悪という判断や好悪というようなものが、ありとあらゆる時代や宇宙における諸々の状況下すべてに必ずしも妥当であり必ずしも合致するとは少なくとも僕は断定できない。よって、それについて僕たちが今という現在時間におけるある特定の地域の中の諸々の習慣や文化の影響を意識するしないに関わらずなんらか受けて存在している以上は、それについて私が今これが正しく、これが間違っていると考えることが常にあらゆる人々にとって正であるか?とするなら僕自身の答えはそれについては否である。

ただし、人間というものの特性や人間における様々な人同士の関係が、時代を超えてある程度普遍的な要素があるとするのであれば、その意味では共通し通じ合える要素を持っているであろう、ということはある程度類推できる。



前提


ある問題や課題に対して、ある人はなんらかの反応をするかもしれない。

しかし、それに対して別の視点から、自分ならこう思う、僕の場合はこうだ、私の場合はこうであるというような、それぞれの主観的な主張を表現することはできるけれども、それについてではどの主観がより正しいかを解明するには時間がかかるし、なによりどの判断がどのように正しいか、そもそも何を持って正しいかと判断を下すのはなかなかに困難だと僕は思う。


と、いうところからまずは表題である「作業服で通勤したら、周りの友達から見下されるからやめてほしい」ということが何を意味しているか、夫と妻という登場人物、そしてその一文から見て取れる周囲の存在と周囲の雰囲気といったものについて考えてみることにしたいのだがどうだろう。


状況を分析する


「作業服で通勤したら、周りの友達から見下されるからやめてほしい」という内容から僕が類推できる状況についてとりあえずは箇条書きにしてみようか。


(1)夫は作業服で通勤をすることがある仕事をしている

(2)妻は夫が作業服で通勤をすることを恥ずかしいと感じている

(3)妻の周囲の人々の生活はある程度裕福であるかそのように見える人々

(4)妻の周囲の人々のうち特に夫という存在の人々は作業服を着て通勤をしていないようだ

(5)妻の周囲の人々の中では作業服を着て通勤をしているような人々は恥ずかしいと考える人々のようだ

(6)少なくともこの夫婦における妻の存在は、妻の周囲の人々の中で「作業服を着て通勤をしているような人々は恥ずかしい」という価値観を持った人々の中に人間関係を構築しているようだ



それによって起こった現象


(あ)朝起きたら作業着が隠されており、着て行けない状態に。仕方なくその日はジーンズで出勤して会社に置いてある予備の作業服に着替えて仕事をした

みんなの読んで良かった!