海外あちこち記  その17 昭和50年代のジャカルタ。日本商社では関西弁が共通のビジネス語だった。

1)ジャカルタの中心にあるホテルの部屋から下を見ると、バトミントンコートが何面も見えます。毎週日曜日には、朝早くから若い男女が全面で一日中試合をしていました。インドネシアのバドミントンが、オリンピックで何回も連続して、金メダルを取るほどの国民的スポーツであることを、行ってはじめて知りました。コートの周りも応援団か見物人か沢山の人が出ていました。


2)昼飯は商社の連中とホテルの中華ランチや、日本人がやっている餃子からウドンや親子丼まである日本飯屋へ行きましたが、オフィスのOL達は高層ビルの下に、昼時に何台も来る屋台で、広い大きな葉っぱにライスやバナナをヤシ油で揚げたものや、色んなおかずを載せてもらい、木の下のベンチでうまそうに食べていました。一回やってみたいと言いましたが、腹を下す覚悟ならどうぞと誰も一緒に付き合ってくれませんでした。(昼飯といえばロンドンやニューヨークで日本商社に勤務している土地っ子OLが昼にどういう物を食べるのか、見るともなく見ましたが、紙袋からサンドイッチやクッキーを出して食べている人が殆どで、外に食べに出る人はいないようでした。いずこも女性は堅実だなーと思いました)


3) 商社も単身者用に部屋数の多い、大きな屋敷を借り上げ、日本食を作るインドネシア人の住み込みのコックを何人かおいていました。また食堂の一隅に大きな本棚があり、帰国時や出張者が置いていくライブラリーめいたものがあるので、一ヶ月近い出張時には時折晩に日本飯をご馳走になりに行って、本を借りてホテルに帰りました。

 商談ごとに扱いを依頼する商社が違って、結局別々に3社のお世話になりましたが、それぞれ現地支店の雰囲気が違いました。

ただ、どの商社の支店も日本人は全員が関西弁で喋っており、中にはちょっと変な関西弁の方が何人もいたので、関西のご出身ですかと聞くと、いや私は日本では東京以外知りませんが、東南アジアのどの店でも、昔から関西弁が社内ビジネス語になっているので、当地へ来て関西弁をいやでも覚えざるを得ませんでしたと、いまいましそうに言う人が何人もいて、思わず笑ってしまいました。

 ところで、欧州やアメリカの駐在員も赴任して数年は、ほとんどの人が任地の土地の悪口を言いますが、ジャカルタの各社の駐在員もビジネス習慣の違いや国情にいらだつらしく、口を揃えて陰でこう言っていました。「インドネシアは、人はオラン米はナシ魚はイカン」オランはオランウータンが森の人という意味のようにインドネシア語で「人」という意味です。また、ナシは近頃日本でもインドネシア風焼き飯をナシゴレンと言うように「お米」のことです。(麺類はミーなので焼きソバはミーゴレンと言います)


おわかりのように「魚」のインドネシア語はイカンです。出張者の分際でそんなことはないでしょうとも言えず、いつも黙って聞いていました。皆さんインドネシアに溶け込むというよりオフィスと宿舎を往復して3、4年の任期を過ごす人が大半に見えました。まあ一年中、短パンとTシャツとゴム草履があれば暮らせる土地柄ですから、高温多湿でクーラーがなければ過ごせず、四季のある日本に早く戻りたいというのが、かなりの人の本音のようでした。



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