26歳でカンボジアで起業し社員30名まで成長させた話
ベンチャー企業で働いてから、起業する!
そう決めていた大学生の僕は2010年に新卒でベンチャー企業に就職した。
自分なりにめちゃくちゃ頑張って、新卒1年目で福岡の支店立ち上げに関わることができ、新卒2年目で福岡支店の支店長になった。そして入社から3年目。そろそろ起業についても考えなきゃな。そう思っていた時期だった。
3年目にちょうど入ったばかりの2012年4月。大学時代にお世話になっていた先輩の社長さんにお会いする機会があった。その方は東京で経営していた会社をバイアウトし、その資金でカンボジアに会社を作るということを聞いた。
正直「なんでカンボジア?」という思った。ただ先輩に「一回見に来たら?」と誘って頂いたので、翌月のゴールデンウィーク休みにカンボジアに旅行をすることにした。
そこで見たカンボジアはいままで僕が想像をしていた、
「地雷」
「貧困」
「ボランティア」
「内戦」
などのイメージとは異なっていた。
僕自身の感想で言うと
「カンボジアは国自体がベンチャーだ。」
ということだ。
外資規制もほとんど無く、外国企業をどんどん受け入れ経済を発展させようとしている。さらにお店がどんどん出来、建設中の建物が立ち並び、活気づいている。
これは面白いかもしれない。
まずはリサーチをしよう!帰国してから色々と調べてみた。
ざっくりだが、3つのポイントが見えてきた。
1つ目。国全体の平均年齢。
日本は平均年齢44歳。カンボジアは平均年齢23歳。
当時の僕は26歳だったので、日本なら平均年齢より18歳下の後輩。
カンボジアなら平均年齢より3歳上の先輩になれる。
若い自分にもチャンスがあるかもしれない。
2つ目。人口の増加率。
日本は2010年から2020年で2%の人口減少。
カンボジアは2010年から2020年で18%の人口増加。
この国は、これから伸びるぞ。
3つ目。情報のズレ。
カンボジアはGDP成長率でも非常に高く、ポテンシャルが高い。
ただ、日本で聞くカンボジアのイメージは「地雷の国でしょ?」とかそんな状態。
これはライバルが気づいていない、ブルーオーシャンかもしれない。
この3つのポイントのリサーチ結果。
「うん、なんかいけそう」
リサーチはこれだけ(笑)
務めていたベンチャー企業でちょうど三年間働いた2013年3月。
いよいよカンボジアに行くことにした。
ビジネスアイディアはいろいろとあったが、具体的なビジネスモデルは特に決めず。
とにかく住み始めた。
最初の2ヶ月間は色んな方々にお会いして、話を聞きまくった。
で、ニーズがあり、自分のやりたいこと、という分野として「人材」に絞った。
まだ人材教育・人材採用・人材派遣・求人サイトなど選択肢が広い状態。
結果的には、カンボジアのことを紹介してくれた先輩の会社と、アジア進出に積極的だった企業の2社から出資を頂く形で、カンボジアに会社を設立した。
最初のオフィスは借りた家賃600ドルのアパート。リビングがオフィス。
求人サイトを立ち上げればうまくいくと考えた僕は、外注でカンボジアに求人サイトを作った。
僕自身にサイト構築のノウハウがなかったことも有り、開発費がかなりかかってしまった。
で、日系企業に営業し始めたところ、企業からの反応は予想外だった。




という感じ。
このやり取りがあってから、ビジネスモデルをソッコーで変更。
求人サイトの広告掲載料から、人材紹介事業に特化することにした。
このニーズがどんぴしゃでどんどんお役に立てる企業が増えてきた。
つまり0→1の種がやっと見つかったところ。
あとはひたすら大きくするだけだ。
日本と違ってニッチな分野を攻めるのではなく、マスを攻める必要があったので、色んな取り組みもした。
・テレビCM(30秒verと60秒verを6ヶ月間ほど放送)
・自社のラジオ番組(土日に月8回×1時間の仕事紹介番組)
・プロサッカーチームのスポンサー(ユニフォームの右腕に会社ロゴ掲載)
・サッカーの試合も開催(ハーフタイムで芸能人を呼んだショータイム)
・iPhoneとiPadとMacBook Airが当たる登録キャンペーン
・王立プノンペン大学への奨学金プログラム(返済不要で学費を4年間全額負担)
など、日本では出来ないようなレベルのPR施策をどんどん打ち出した。
結果的には登録者も15,000名を超えるレベルまで増えた。
2年間で社員数は30名程まで成長した。
月間売上もカンボジア国内では人材紹介会社としては最大規模まで来た。
そんな中、出資してくださっていた株主との方向性の違いなど、色々な変化があった。
まったく会社の知識がないまま、事業発展のため走ってきた。
そして自分自身は0→1のフェーズが好き。
自分自身がどうしたいかも、考える時期かもしれない。
そこで決めたのは、カンボジアで作った会社の社長を辞めること。
次は東京拠点でアジア全域を対象に、自分自身の会社をやりたい。
採用したメンバーや出資を頂いた株主の方々に申し訳ないが、
そう思ってしまったからには伝えるしかない。
株主の方々に正直に気持ちを伝え、
一緒に頑張ってきたメンバーに気持ちを伝えた。
迷惑をかけてしまったことも多かったと思う。
結果的には1年間一緒に事業を作ってきた方が後任の社長に就任。
株主の方々についても直接話し合って頂き、シンプルな形にまとまった様子。
そこから3ヶ月間の引き継ぎを経て、2015年3月末に日本に帰国した。
次は自分自身の会社を作る番だ。
さて、新たな挑戦に進もう。
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