命がけでやっていいこと

この前、大学の学位証明を見てみたところ、日付が2011年3月10日となっていた。震災の前日。

それから2年間メーカー子会社に「いた」が、自分がしていることが世の中の為になっているのか実感が持てなくて、とても苦労した。一方で、会社の外に出て色んな人に出会ったりする方が面白くなってしまって、だんだん自分の居場所が無くなっていった。

大きな組織になればなるほど、役割の階層構造が大きくなっていく。仕方のないことだけど、年収1000万円以上を稼ぎたいと思ったら、大きな組織の場合は何十年と勤め上げるしかない。

しかし、大きな組織になるほど様々な利害関係を意識しながら、お互いの意見を汲み取りつつ意思決定をする。全ての人に気を遣える精神的安定感が無いと信頼されないのだ。自分の承認欲求を完全に押さえ込み、上手に相手の承認欲求を汲み取る努力が常に必要になる。おじさん達は、若い人がきちんと自分達の話を聞いてくれると気分良く仕事が出来る。(大抵の人間関係もそうだと思うが)

自分にはそれが出来なかった。そうしようとするほど、自分の承認欲求の方が勝って、「俺は一体何をやっているんだろう」と徒労感がたまっていった。誰かの為だと薄々分かっていても、何の為に長時間いるのか結局よく分からなかった。苦しかった。

自分が今新卒で就職活動をしていたら、多分大企業には絶対入らないだろう。代わりにベンチャー行った方がまし。。ベンチャーは意思決定が早くて仕事も膨大にあって大変だけど、自分の力で新しいことにどんどんチャレンジ出来る。そう思って、2年目でくびになるのが確定したとき、1ヶ月間色々なベンチャーを探して、面接に行った。

そこで、大木さんという多分人生で一番尊敬する人に出会った。もう会えないかな。会う資格がないというか。大木さんはLean Startupという言葉が出る前から、その手法を事業開発につかっていて、100出たアイデアのうち良さそうな3~4のアイデアを他人が真似出来ないクオリティで事業として展開していた。そして、事業がある程度大きくなった会社を何社か株を持っておいて、自分の収益にしていた。ValuePressというPRシステムの会社、Bookscanという本を電子書籍媒体に変換するサービスを展開していた。

自分で社会に新しい価値を産む会社を作り、その会社の収益で社員や自分の家族を幸せにしている姿が本当にかっこよくて、いつか自分もそうなりたい、隣で勉強したいと本気で思える人だった。

自分はBookscanの方に20枚前後の自己PR漫画を1日かけて描いて、会社に送付した。仕組みに魅力を感じた理由を自分なりに漫画にして描いて送ったのだった。熱意が採用者側に伝わったのか、とんとん拍子で面接が進み、内定を頂いた。1ヶ月もしないうちに会社を追い出されるタイミングだったので、本当に嬉しかったし、ほっとした。でも、これでは終わらなかった。

両親の強い反対にあったからだ。当時、本を電子媒体に変換する為に、本を裁断し一枚ずつ紙をスキャンするのを請負う「自炊代行」業者が、出版社や大手作家達から糾弾されているタイミングで、下手をすれば会社が潰れる可能性も大いにあった。Bookscanは、様々な作家のインタビューをトップページに掲載し、従来の紙メディアの発信者からも好評価を頂いていることを強調していたし、うまく大手とネゴシエーションして、訴えられないような根回しをしていた。

それでも、両親の強い反対は変わらなかった。元々医療現場のことしか知らない人達だったので、資格や免許が自分達のキャリアを守ってきたことを誇りに思っていた。勉強や現場での仕事を一生懸命頑張ったから、息子もそうした方が自分の人生を守れると信じていた。出来れば、親父と同じ高給取りになる為に、医者になって欲しいと思っていた。でも、彼らに憧れたことは無かった。嫌いでもなければ好きでもなかったが、押し付けられるのは嫌いだった。

自分は、内定をした時点でBookscanに行くつもりでいたが、当時自分の周りで「ベンチャーがいい」という後押しのアドバイスをしてくれる人は1人もいなかった。会社をくびになる挫折体験と、先の見えない転職活動と、「私のこと死んで欲しいと思っているんでしょ」と聞かれて「そうだよ」ってのどのところまで出かかったくらいの両親との激しい対立で、メンタルがくたくたになってしまっていた。色んなことに疲れて、両親の意思を汲んだ方が幸せなのかも知れないと思って、ベンチャーに行くのを諦めた。

その代わり、3年間で卒業出来て、20代のうちにもう一度社会人を再チャレンジしたい。また、資格取得だけで終わらず、勉強したことから自分で新しい何かを創り出せるような取り組みをしたいと思った。点数だけはまあまあ高い「エセ優等生」を演じながら、色々な「意識高い系」のことをやった。

新規事業を沢山やっている医学生の起業家のもとでCo-med Cafeという異業種交流の場を2年程やってみたり、LPixelで画像解析に関するノウハウを勉強したり、それに関するプログラミングに触れた。また、医療ITカンファレンスという医療に資するアプリケーションを開発している事業家を集めたイベントを眼科医と共同主催したり、、Safecastという放射線モニタリングデータをクラウド上でマッピングするサイトの開発の手伝いをしてみたり。。。

医療や放射線に関わって、「本当の自分」になれる場所を見つけられるかずっと探してきた。そして、20代のうちに思い切り背伸びすれば、もしかしたら何かが出来るかもしれない分野を見つけた。

それは、医療現場でのタフなネゴシエーション、専門知識の修得と同時並行しながら、自分の「やってみたい」意思をどこまで追求出来るかによる。両方のバランスを周囲の環境にあわせて変えていかなければ、いい仕事なんか出来るはずがない。それが自分に向いていると思わないけど、必要なことだと思う。そして、向いてそうなことは、楽しそうにやればいいと思う。

つまり、誰かにどんなことを言われても、自分はこれがやりたい、やってみました、結果がついてきました、っていうプロセスを何でもいいから早く経験すればいいんだと思う。

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