今もRX-7とともにいる           

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・維持費がリーズナブル

・ホンダ以外

・その車両にhistoryやなんらかのpremiumを感じられる

といった検索条件での物色に発展してしまう


特に 最後のところは愛着を持ってクルマと戯れるには結構大事で

中古車情報やネットオークションをチェックする日々を悶々と過ごしていた


当然 RXー7も物色の対象にはなっていたが

  FC型は車両コンディションと維持コストが

  FD型は車両価格とそのポテンシャルの完全もてあまし

といった懸念があり この時点での入手候補としては低いポジションにあった‘

現実 最終候補に絞られていたのは

 NA6CEorNA8C Roadster

 BG FAMILIA GT-R

 N15 PULSAR VZ-R

 SW20 MR-2  

 JT191S Gemini Irmscher R

  といったところになっていた


そして運命的な出会いは 突然やってくる

ネットオークションでISUZUを見ていたところ

ジェミニの最終ホットモデルJT191Sの中でもかなり希少なクーペボディ

テンロク ターボ 4WDのIrmscher Rの出品を発見 しかも 値段も手ごろ 

しかし

 モディファイパーツはもとより 

 性能を維持するための純正部品の入手すら危ぶまれる代物

そんなことはわかっていても

   ISUZU最後の自社生産乗用車 かつ 最後のスポーツモデル

   そして その中でもさらに希少なクーペの4WDターボ

こんな生い立ちに そそられないはずがない


JT191がデビューした頃は 正直「いけてないなぁ....」と思っていた

 スペックなどから4ドアモデルのIrmscher Rは興味があったが

  同じパワートレインを使っているモデルでもクーペはパッとしなかった

4ドアがラリーなどモータースポーツの場で活躍しているのは目にしていたが

このクーペはそういう場面でも見かけないし ましてや当時でも

  街中で走っている姿すらほとんどお目にかからなかった

実際 見たことのない方も多いのではないか?と疑われるようなしろもの

しかし それが 画面に出ている

 一気に興味が高まった

手に入れれば 当然足回りはヘタっているだろう

エンジンは5万4千キロの走行距離からすればまだいけるはず

サスペンション関係はKYB製の新品が入手できることは確認した

そのほかのパーツも 当時 うちの近くにISUZUのディーラーがあったので

(といっても乗用車の販売はホンダのOEMジェミニのみでトラック販売が主)

確認したところ主要ショートパーツは確保できそう

ということで 妻に黙って それこそ勢いで 入札してしまった


 3日後 誰も競争相手のいない入札は自分の落札で確定した

その夜 妻に落札の件を打ち明ける

もう 落札しちゃったんでしょ...ダメっていえないじゃん どうせ いったところで意味ないし

と笑い飛ばしてくれた妻

妻の理解も得られ?  出品者と引き取りの相談 車両は茨城県にある

自走可能な車両なので 自走引き取りも可能

 「どうやって茨城まで行こうか?」と思案していたら

付き合ってもいい というありがたい友人あり しかも彼は整備士でもある

そんな彼にお願いし 無事引き取りも無事完了 車両の程度も想定より良好

しかし 案の定 サスペンションはその機能を発揮しているとはいえず

帰路の湾岸高速では 少々心もとなかった

そんな走行状態を確かめつつ 夜半に帰宅し 

整備士の友人と整備プランについて談議

 あれこれ構想の膨らむプランに 

   気づけば明け方になったのも今ではよい想い出だ

Geminiの整備 まずは足回りのリフレッシュからとりかかる 

  車高も3cmダウンさせた

これだけでも ずいぶん印象が変わる

その後は これも偶然に 

 逸品であるオリエントスピードのマフラーをネットオークションで入手

  ホイルとタイヤも交換し 怪しいエンジン周りの部品も徐々に交換して

 日常的に運用するに耐える状態まで持っていった


JT191S Gemini coupe Irmscher R

この車との出会いは クルマをドライブする愉しさを 

 加速的に取り戻すキーになった

 同じ車種を見ることもなく 

  たくさんの人に 「これなんてクルマ?外車?」

とか聞かれるのもおもしろかった 

何といっても 見てくれとは裏腹になかなかの俊足なドマイナーな車両

リッターあたり100馬力を超える出力のエンジンと 

 それを4WDで駆動する重量級ではないボディ

車両状態・年式的にはサーキットでの酷使は辛いが 

  ワインディングレベルなら かなり愉しい 


夜な夜なドライブに明け暮れる日々

仕事のストレスでやられそうなメンタル  なんとなくモヤッとしたときなど

  仕事がはねてからの そうした気分のリセットにはとても大事な存在になった

クルマの中で朝を迎えることもあったし 疲れるほど走りこんだ日もあった

 それだけ このクルマとの時間は濃密なもので

Geminiがもたらしてくれた 見失っていた自分らしさのピースの片鱗

これが RX-7を入手する布石となっていった



ーロータリーエンジンに馳せる想いー

ある日 職場でその事件は起こった

このことからFDへの道が動きはじめることになるとは 

 その時点では考える由もなく

80歳をこえた ある認知症の男性入居者との出会い

2003年 当時の仕事(今もその延長にいる)それは 

 特別養護老人ホームでの介護職員

さきの彼を トイレにお連れしているときの会話からそれは始まることになる


彼は大戦時 航空機の部品を作っていた と 入居前調査書に記してあった

 入居から自分が始めてのコンタクトをするまでに数ヶ月あったが 

 その間 同僚から 

同僚
あの人 戦時中に零戦の照準機を作っていたらしいよ
同僚
機械に詳しいらしくて いろいろ説明されるんだけど 専門的なこといわれてもよくわかんないんだよね...

などという情報を得ていた


特に女性職員には機械の話などしたところで 

 共感してもらえることもなかったのだろうし

男性職員でも 車や飛行機に興味のないものにはまったく興味のもてない話

そんな事前情報をもっての 彼とのファーストコンタクトはトイレの中 

介助をしながらの会話だった

自分
零戦の部品作ってたんですって?
あぁ よく知ってるな 誰かに聞いたのか?

こんな感じだったような記憶


認知症を患っている彼は こちらの質問と答えがずれることも多かったし 

少し前に何をしていたか?を覚えていることもできなかった 

しかし こと 昔の記憶である機械関係の話だけは 少々ちがっていた

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