我儘になる勇気

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達人「あなたが今の心境のまま生きていくのであればそうです。しかし、今までの生き方から一歩前に進んだ事は確かです。わがままの捉え方を少し間違えたものの、フラットな状態には戻れたのですから」



青年「でも、わがままに生きるのはもう怖いです」



達人わがままに生きる事の本当の意味を知ると、初めに立ち塞がるのは恐怖です。恐怖は全て自分の外から来るもので、立ち向かうしか方法はありません。つまり勇気です。これが子供のわがままと大人のわがままの違いです」



青年「じゃあどうすればいいんですか?私は」



達人「また他人に答えを求めるんですか?今度は勇気を出せと言われたから出しますか?それは同じ結果しか生みません。わがままに生きるには勇気が必要になります。これは間違いない事です。覚悟という言葉にも置き換えられるでしょう。しかしそれは、あなたのわがままが何なのかを、あなた自身が理解して初めて現れる壁なのです」



青年「私の中のわがままですか・・・」



達人「そうです。会社を辞める事がわがままだったのなら、少なからず勇気も必要だったでしょう。そして辞めた後の開放感は、純粋にあなたの求めた幸福だったかも知れません。しかし、当たり前ですがそれで人生が全て上手くいく訳でも、終わる訳でも無いんです。ずっと続くんですよ。わがままに生きるとはその生き方の事であり、行為を言うのではありません。子供のように純粋に幸せを求めれば、それが手に入るかも知れないし、入らずに落ち込むかもしれない。でもわがままにならなければ絶対に手に入る事は無いんです」



青年「だから、勇気が必要なんですね。ぼくにそんな勇気が持てるでしょうか」



達人「さっきも言いましたが、あなたは既に一歩踏み出してる。それは勇気だとぼくは思います。私が言うわがままな生き方にあなたは少なからず共感した。憧れた。だから勇気が持てた。ならば、今度はあなた自身に共感し、憧れるようなわがままを探して下さい。それが勇気に変わると私は信じています」







青年は肩を落としたまま去って行きました。


わがままに生きるという事は、今までの生き方を変えるという事です。


それは、今までの自分を否定する行為になると感じる事もあります。


でも、それは勘違いです。


何が正しくて、何が間違いなのか?


人生に正解を求めて人は生きようとします。


しかし、正解なんてものは無いんです。


振り返った時に、良かったと感じるか、悪かったと感じるかだけの事。


純粋に幸せを求める人生は、振り返った時に後悔するでしょうか?



ぼくはしない。



大袈裟に言えば、人は死という制限時間の存在を理解した時、初めてわがままになれるのかもしれません。



わがままに生きるとは勇気を持ってそれを受け入れ、あなたと関わりを持つ人にあなたのわがままを伝えていく生き方です。


あなたのわがままを受け入れてくれない人が居るならば、受け入れてくれる人も必ず居ます。その人があなたをわがままで居させてくれる人。そういう人に囲まれて生きる。そんな環境を作る事は実は難しい事ではありません。


あなたがわがままに生きる勇気を持てれば。


※このストーリーは半分以上フィクションです。

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