南十字星は見ていた

最近この国を紹介する時に画面に映し出されるものの順位が変わった。かつてはベルギーの小便小僧像、コペンハーゲンの人魚像と並んで「世界三大がっかり」に見事ノミネートされていたマーライオンが、奇妙な形と屋上のプールで度肝を抜いたマリーナベイサンズにその地位を奪われた。またいつの間にかF1がストリートで開催されていると言うように、この国の変貌の早さにはいつもの如く驚かされる。

戦後、マラヤ共和国から事実上追い出された小国の島国。国父と言われ昨年亡くなったリー・クアンユーの元で経済繁栄を実現。水道水をマレーシアに依存し毎年その購入契約の更新で苦渋してきた国が、今や一人当たりGDPでは日本も凌駕する存在になっている。因みに水は現在ではニューウオーターという下水の再処理水が導入されている。何処かの国の首相がO157事件の際にカイワレ大根をテレビの前で食べて安全をアピールした様に、当時の首相がコップに取ったニューウオーターを飲んでいるニュースを見たことことがある。

そんなシンガポールに、2000年から2年間駐在員として赴任。妻と娘は「蒸し暑いところは嫌だ。行ってらっしゃい。」ということで、初めての単身赴任となった。

住まい:

住む所を決めるまでの約1ヶ月はシティーにあるかつての第一ホテル、今のホテルMに滞在。会社のあった通称トレジャリービル、本名テマセックビルから歩いて10分。周りに日本食レストランも散財していて便利という点では申し分なし。その代わり週末はガランとしていて店も閉まっている所が多く、やることもない。

所謂、コンドミニアム、日本で言うマンションを探す為に地元の不動産屋へ。希望の地域や広さ、予算を伝えると早速見学。車を持って無かったので会社や買い物に交通が便利な所。家族が遊びに来た時に滞在できる広さ。等、5、6箇所回った所でオーチャード通りに徒歩でも15分くらい、隣にショッピングモールのある高層ビルの一室に決定。19階で隣のビルの間から辛うじて市の中心部や海が見える。

建国記念の日の花火もうちでビールを飲みながら見ることが出来た。

食事:

長かった独身生活のせいで料理は結構出来たが、材料を買って作ってかたずけるとなるとちょっと負担が重すぎた。会社の立ち上げだったこともあり、帰りも遅くなりがち。そこは割り切って外食とした。

よくシンガポールは共働きが多いので安い屋台などの外食が豊富と言われているが、確かにホーカーと言われる屋台やフードコートは沢山あるが、あまり手が掛かったものとは言えず、そればかりだと侘しくなってくる。日本料理もピンキリではあるが他の単身赴任者はオーチャードにあるビルの中にある居酒屋に入り浸っている様であるが、何もこんな所まで来て日本人同士で管を巻いてもなあと思い、行っても地元の人達が出入りしている所にした。その他、韓国料理店。風邪気味で体調が優れず食欲がない時は「吉野家」が重宝した。生卵が無いのにはがっかりしたが。

医療:

よく言われる様にシンガポールのオフィス内の冷房はこれでもかと言うぐらいに寒くしている。どうやら寒くするのがお客様への礼儀らしく。また赤道直下の国だというのに、部屋をギンギンに冷やしてスーツやセーターを着込んでおしゃれをしている。

それで赴任直後から頭の上から冷房を浴びつずけていたら風邪をひいてしまった。同じビルの一階にクリニックがあり訪ねると、ドクター・タンという中国系の医者が診察。その頃、駐在員は海外旅行者傷害保険というものに加入しており、海外での医療費は領収書があれば全額カバーされていた。駐在員の行く病院でもこの保険については有名だったらしく、「この薬はアメリカ製でビタミンから何度もかんでも入っているから大丈夫。」と次から次へと薬を出してくる。

また漢方薬医も駐在員に人気で予約無しには見てもらえない程流行っていた。粉薬も有るのだが、暫くすると生薬を煮出す電気ポットみたいな物を買わされる。薬?は木の皮や雑草の様なものを乾燥させたものが中心だが、時には牛の胎盤やらサソリなんぞも出てくる。アレルギーに悩まされていた時に先生が、「では次は蜂の毒を試してみましょうか?」と言われた際には、流石に躊躇し、恐竜の骨で勘弁してもらったこともある。例に違わず、こちらも保険でカバーされていたのであるが、余りにも儲かりすぎたのか、日本の保険会社がシンガポールで認められる医師の資格を持っていない者の診療費は認められないとの通告をして来て、先生は台湾で医療の専門学校を経て軍医として働いていたと言う証明書や、中国の医大に籍を置いているとの説明をした様であるが、結局、旅行者傷害者保険の適用は叶わなかった。それでも患者の数はそれ程減らなかったから、その人気のほどが伺われる。

シングリッシュ:

所謂シンガポール人の話す英語である。語尾にラを付けるのが一番の特徴だが、兎に角五月蝿く聞こえ、こちらの話す気を削ぐ。真似をしてネを語尾に付けるも、これは芳しくない。まだナの方がましのようである。

暫くノイローゼの様に英語を話すことが苦手になり、英語が下手になってしまったのかと、英会話学校に通い西欧人と話をすると何でもない。教師曰く、「お前の英語は少なくともここの生徒のトップ10%には入る。」と。

いつまで経っても慣れないというか、好きになれなかったシングリッシュ。

遊び:

本当に遊ぼうという場合、駐在員の連中は隣国へ行く。バンコクなど飛行機でひとっ飛び大阪出張の感じだ。奥様方も良く心得ていてバンコク出張というと、眉をひそめるのであるが、亭主連中も慣れたものでお土産にブランドもんのバックなどを買って来て機嫌をとる。

国内では昼間はクソ暑い中ゴルフ。国内はそれなりに高いので、週末ごとにツァーを組んでマレーシアに出かける猛者達も。

夜はオーチャードを中心とした、ここは新宿、はたまた銀座と思うビルの中を埋め尽くすカラオケバーやラウンジ。外人の女の子に囲まれた日本人駐在員達がネクタイを頭の周りに巻いてカラオケを歌い踊るのを見ていると、益々ここかどこの国だかわからなくなってくる。

夏休みなどの長い休みの時は、家族での海外旅行が盛んだった。折角、赤道直下まで来ているのだからと、インド洋に浮かぶモロジブ島、オーストラリア、南アフリカなどが人気の場所だった。

私の場合、単身赴任だったので夏休みは家族がシンガポールに訪ねてくる逆流。1ヶ月ほど滞在していたが、それまで縁が無かったセントサ島やシンガポール動物園などの名所を、週末やアフターファイブに回ることが出来た。

また、家族の滞在に合わせて私の両親をシンガポールに招待出来たことも良い思い出だ。

多様性に富んで成長への勢いがある国。明るい面とその反面で隠れている暗い面。

最近のシンガポールの若者は前世代の様に言論の自由の制限、学業至上主義、官僚主義と言ったこの国の発展に寄与して来た者に対して半発を強めている様だ。それは高度成長期、円高克服と突き進んできた我が国の昭和の終焉に似たものかもしれない。そして我が国がそうであった様に、シンガポールでもリー・クアンユーの時代に郷愁を覚える日が来るのかもしれない。

その時にはまたこの国を訪れてみたいと思う。




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