加藤三郎の生い立ちから現在までのストーリー

2 / 10 ページ

そしてさまざまに迷う中で、そういう日本の侵略史、 天皇制を批判する武装闘争

に立ち上がりました。

ただし、徒党は組まず、すべて私一人の手で行いました。

絶望的な戦いであることを自覚していたので、 他の人をまき込みたくなかった

ということも理由でした。

そして1976年から1978年に掛けて、京都、大阪、 東京で8件ほどの放

火、爆弾闘争を行いました。

78年はじめに当時住んでいた上板橋のアパートで誤爆事件を起こ し

そこから逃亡生活、爆弾闘争後の生活が始まりました。

3、私の思想と闘争の誤りに自覚と、自分を見つめる作業の深化、 その1

こうして私は1978年はじめから東部う生活に入りました。 すでに76年にも

指名手配される身になっていたのですが。

その78年からの逃亡生活の初期に、 私は自分の思想と戦いの誤りを自覚しました。

そのきっかけはこうでした。

その逃亡生活を、私はOさんという女性とともにしていました。

私は彼女をなるだけ私の戦いに巻き込まないようにしていましたが 、

かの女も以前から私の親しい友人とみなされていて、 普通の社会生活が送れなく

なっていて

私の近くで生活はしていたのです。

その彼女は1年ほど前から、心身の調子が悪くなり

食欲もなくなり、顔色も黄色くなり、生理もとまり、 歩くことにも疲れるように

なっていました。

その彼女と私は逃亡生活をともにしなければならなかったことから

この逃亡生活を持続するためにも彼女に健康になってもらわなけれ ばならないと考え

たまたま長くかくまってくれた人の部屋で、 毎日のように彼女と話し合う生活を

を始めました。

彼女の人間関係の持ち方などにかねてから疑問を抱いていた私は

彼女の幼少期からの人格形成のどこかに問題があるのではないかと 思ったりして

いたからです。

1冊の心理療法の本を読み合わせながら、 いろいろ話し合う毎日が始まり、1ヶ

月もたつと

食欲が戻ってきたり、生理が始まったり、 黄色かった手のひらがピンクがさして

きたりしました。

私はその彼女の急激な変化に、とても心を動かされました。

そして私は自分がこれまで知らなかった世界がここにはあると感じ

そういう心理療法の本を続けて何冊も読んでいき始めました。

そして1978年の秋ごろには、 もう自分のそれまでの思想と戦いは根本的に間

違っていたと自覚するようになりました。

当時の考え方としては、心理療法の本を読むことから

この世の中の矛盾や腐敗といったことは、 人々がいわば精神的に病んでいること

から起こっていることであり、

それを道徳的に裁き批判し、暴力を使ってみても何の効果もなく

そういう行動自体がこの社会のやんでいる行動から影響を受けた感 じ方、考えか

らであり

むしろ、 そういう集合的な病的な状態からどうしたら人々が回復していける か

を、真剣に考える必要がある

そんな風に考えるようになったのです。

こう考えるようになった私は、逃亡生活の中でですが、 自分たちでいろいろな心

理療法を試してみたり

そう言う療法をやっているグループに参加したりしました。

著者のKatou Saburouさんに人生相談を申込む

著者のKatou Saburouさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。