クリスチャンとノンクリスチャンと教会とお寺。父の一周忌を終えて

 昨日父親の一周忌を終えてまいりました。


早いもので一年。長かったようで、あっという間のようで、何とも言えない気持ちです。


一昨日の夜中に、従兄弟(ノンクリスチャンの、無宗教)の大の仲良しさんとお話しする機会があり、夜通し語っていました。


僕はクリスチャンとはいえ、教会に来て欲しくないと、十年前に教会の牧師さんから言われてしまった身でありますので、クリスチャンなのかどうなのかも分かりません。


教会で礼拝し、神様と主イエスキリストを、賛美して、牧師先生から説教を受け教会員皆で賛美歌を歌い、主を賛美する、そんな生活が十年前まで当たり前のようにあったのですが、統合失調症になり、色々とあって離婚し、子供たちとも引き離され、断腸の思いで過ごしてきた十年間でありました。


そんな僕が父親が死ぬ寸前に息子と娘に会い、再び神様を賛美するようにはなったのですが、未だに教会に拒否をされるんじゃないかという思いから、行けずじまいになっています。


教会に行ってないのにクリスチャンなの?と友人から言われたりして、返す言葉も無い。そんな僕が昨日一周忌の法事のために、お寺に行ってまいりました。


お寺に行く前に従兄弟と宗教の話になり、気にすることは無いよと言ってもらって、救われた気になりました。その従兄弟は少し年が年長さんの従兄弟であり、尊敬する従兄弟でもあったので、色々とお話を聞いてもらいました。


六日間でこの世を作ったのが雑に思えるんだけど、とか色々と話をしました。これは無宗教の彼が素朴な疑問として、僕に投げかけました。色々と説明しその後にも色々と聖書には書かれてるんだよということを話したりしました。


また、お寺や神社での祈り方がクリスチャンの僕には分からないよ。。。。。と言う、まあ普通に思う悩みも打ち明けました。


故人を偲んで父の安寧と心安らかに眠ってくれよなと言うようなことを、お寺で祈ってきましたが、どうなんでしょう?(笑)


しかし、家族がノンクリスチャンだと色々と悩みます。説明しようにも聖書を読んで位しか言えません。


まあ当たり前のことですが、僕はプロテスタントなので聖書に書かれてることが全てだと思っていますので、南無阿弥陀仏とお経をあげてる住職さんに、あまり感じるところはありませんでした。


まあクリスチャンとお寺とは普通は有り得ないのですが、従兄弟の話によると考えすぎるな、との事。


教会に行ってないので信仰が鈍ってるとは思っては思ってはいないのですが、信仰を持ち続けるには、一人じゃやはり辛いです。


家族に一人でもいれば良いのになあという思いはあるのですが、どうせ統合失調症の言ってる戯言くらいにしか聞いてくれません。


お寺と教会。全く違いますよね?(笑)


何を言ってるのかわからなくなってきましたが、とにかく一周忌を終えた。その事だけが唯一父を皆で偲ぶ良い機械になったのは言うまでもありません。


私は心の中で(主よ)と祈っていましたが、家族がノンクリスチャンのクリスチャンの方たちは、家族に伝道してるんでしょうね。僕はまだまだ信仰が足らないのですね。


主イエスキリストが何時でも見守ってくれてる事を感じつつ、一周忌を終えてようやく、仕事にも来れて、すとんと何か変化があったような気がします。


この変化で僕が来るなと言われた教会以外の教会に、行ける様になれば幸いです。


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