日本中のお母さんを家事から解放したいので、松下政経塾に応募し、2次試験まで残った話。

私は「日本中のお母さんを家事から解放してあげたい」という夢をもっております。

こう言い放ち、松下政経塾の門を叩きました。今日は、松下政経塾の入塾試験のお話です。

 そもそも、松下政経塾とは、日本の将来を引っ張るリーダ育成機関です。この塾の卒塾生は野田元首相などがおり、優秀な人材を輩出しています。設立者は松下幸之助で、1979年(昭和54年)に設立されました。


では、なぜ私が松下政経塾に応募したのかをもっと詳しくお話しましょう。

 私は3年間社会人として働き、学費を貯めながら夜は予備校に通う生活を続け、大学に進学しました。紆余曲折ありましたが、病気を患いながらも、隣で私の夢を支えてくれた母に恩返しをしたいという一心で、なんとか大学進学への道を切り開きました。私は母子家庭で、世帯年収が100万円程度の貧困世帯でした。それでも、大学進学へ果たせたのは他ならぬ母親のおかげです。

(詳しくはこちらをご参照ください。)


 大学卒業後は、公私共に順調な日々を送っておりますが、今までに自分がいただいた恩にどうやって報いようかと考えることが多くなりました。自分なりに調査した結果、私と同じように経済面で苦労している家庭が日本にはまだまだ多いことがわかりました。特に母子家庭ではそれが顕著であるため、子どもは早くから就労しなければならず、大学進学や職業選択に選択の余地が無く、貧困の連鎖を断ち切ることができないことがわかりました。


 日本では、貧困について勉強して良い仕事に就かなかったからだという「自己責任」論で片付けられてしまう側面がありますが、私は自身の経験もあり「これは問題だ」と強く感じ、松下政経塾の応募にいたりました。


松下政経塾の選考フロー

 入塾に際しては何回もある選考をくぐりぬけなければなりません。まず、エントリーシートを書き、それが通過した後に一次試験を受けます。中身は就職試験でも課せられるような面接+適性検査でした。

 それが通過した者は2次試験の後、最終面接を経て入塾となります。


濃密だった2次試験

 私は2次試験で敗退をしたが、とても濃く楽しい経験をえることができました。では、2次試験のお話をして、物語を終えようと思います。

 残暑残る10月上旬に私は2次試験を受けに松下政経塾にいました。私を含めて12名の志望者がそこにいました。各々、胸には信念を携えておりました。時間となり、出席確認が終わった後、早速筆記試験が行われました。その後、私たちが宿泊する建物の案内があった。そう、2次試験は1泊2日かけて行われるのです。

 宿泊する部屋(寮)を確認したら、懇親会がありました。そこで、様々な人と会話する機会がありました。ある人は地方創生を。またある人は宇宙開発をしたいと述べていました。


 次の日、体力測定があった。試験の詳細な内容は書けませんが、とくに厳しい内容ではなかったです。その後、グループ適正試験及び適正見極め試験を経てようやっとの解散となりました。


 グループ適正試験では、よくあるグループ・ディスカッションと思ってもらえればいいです。ひとつのお題を与えられたあと、グループ内で結論を出します。適性見極めは個人の資質を質問によって確認するといった内容でした。


志願者の意見や考えは、洗練されており、納得できるものばかりでした。私も選考される立場であったが、隣で聞いていて勉強になりました。

※試験の具体的な中身については、秘密とさせていただいております。


最後に:私は別の形で夢を実現する!

 今回、松下政経塾にはご縁が無かったが、私は夢があり、それを実現し、ひとりでも多く困っている人を幸せにしたいと強く思っています。起業するなり、選挙にでるなりし、自分の夢を実現し日本をよりよくしていくと宣言し、この話を終えます。


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