全ては子供たちがくれた

マリモの涙

 北海道の土産にマリモをもらった。直径3センチほどの丸い生き物がガラス瓶の中に入っている。

見れば見るほど不思議な生き物だ。6年前、大学の卒業旅行で北海道に行った友人も同じものをくれた。「大切にするとどんどん大きくなるよ、ってお店の人が言っていたよ」と言いながら。

 私は、このマリモを連れて福岡の小学校に赴任した。赴任の挨拶で何と言おうか。型通りの挨拶じゃつまらないし、、、と思いついたのがあるクイズだった。「私は、目もない、鼻もない、手も足もない、真っ黒でまん丸の生き物を飼っています。さて何でしょう?」これで、全校児童がわきあがり、一度で名前を覚えてもらった。そしてついたあだ名が「マリモ先生」。

 マリモ先生は、5年1組を担任した。教室の片隅には、きれいな金魚鉢に入れられたマリモがあり、クラスのトレードマークもマリモとなった。マリモの世話をするマリモ係まで出現し、わが「マリモ学級」は順調なスタートを切ったように見えた。

 しかし、わんぱく盛りの五年生は、大学出たばかりの女の先生には、ちょいと荷が重すぎた。どんなに大きな声を張り上げても言うことを聞いてくれない。思い通りにならないのが悔しくてついつい怒ってばかり。子供達だって同じこと。怒られてばかりでは面白くない。お互いの気持ちはすれ違うばかりだった。

 そんな日が何日続いただろうか。ある日ついにお互いの心が爆発した。何が原因だったか忘れたが、私の言葉に怒ったある子供がこう叫んだのだ。

「新米のくせに偉そうなこと言うな」

 一瞬教室の中の空気が凍ったように感じられた。32人の子供の視線が私に注がれる。そうだそうだと同調している目。かわいそうだと同情している目。でも大部分は、どうなるかとハラハラしている。

 私は冷静さを失った。たまりにたまっていた感情が爆発した。涙がぽろぽろ流れてきた。体裁など関係ない。自分の気持ちを吐き出した。教師になりたてで迷いが多いこと、でも、自分なりに頑張っていること、一緒に頑張って欲しいこと。そして何より、みんなのことが大好きだということ。これほど自分をさらけ出したのは初めての経験だった。心を覆っていた固い鎧が取れたようだった。体裁という鎧が私たちの間を邪魔していたのだ。

 この日を境に、私と子供達の心は少しずつ近づき始めた。自分の気持ちを素直に伝えればきっと通じる。それが分かったからだ。

 マリモ先生は、泣き虫先生と言われた。本当によく泣いた。時には自分よりも大きな男の子と二人泣きながら喧嘩もした。女の子の喧嘩の仲裁をしながら、一緒に泣いてしまったこともあった。クラスで飼っていた文鳥が死んで、子供達と一緒に泣いてしまったこともあった。懇談会で、保護者からたくさんの注文を受けて、放課後の教室で一人涙したこともあった。そんな私の涙を餌としてか、マリモはすくすくと大きくなった。

 そして迎えた卒業式の日。マリモは数倍の大きさになっていた。そして、マリモ先生も2年間の間に少しだけ大きくなった。

 今日で、マリモ学級ともお別れ。そう考えるだけで、朝から何度も涙がこぼれそうになった。ダメダメ、涙は最後に。式を終えて教室に戻ってくる。32人の子供達の顔を見つめると、あとからあとから涙があふれてくる。感極まって、言葉も出ない。少しづつ少しづつ言葉を絞り出す。最初に涙を見せたあの日と同じだ。でも、流れる涙は違う。ごめんなさいとありがとうの涙。ごめんなさいは、下手な授業でごめんなさい。誤解してごめんなさい。心ない言葉を口にしてごめんなさい。忙しさを理由にたくさんの心の信号を受け損ねてごめんなさい。そして、そんな私を黙って許してくれてありがとう。

 この日を最後にマリモ先生は、小学校の教壇を去り、お嫁さんになりました。今ではお母さんです。もうすっかり昔の思い出になってしまったことを、マリモを見ながらまた思い出してしまいました。

著者の田中 美佳さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。