②私が「私に暴力を振るい続けた死にゆく母を笑顔で見送るべきか(長文です)」と知恵袋に書き込んだ者です。
「そんなこと言ってんじゃないよ!」
そう怒鳴られた後に左の頬を平手打ちされた。それが私の思い出せる一番古い記憶。
私は4歳になったばかり。幼稚園の入園式前に身体測定で新入園児皆が集められた教室で、私が隣の女の子にテレビで覚えたての「毛深い」という言葉を発した直後に母は私を怒鳴りビンタした。
お母さん、私ね、覚えたての言葉だから誰かに言ってみたかったんだよ。「そんな言葉知ってるの、凄いね」って、褒められたかったのかも。
父は私が生まれる前から豆腐工場でアルバイト。母は父の稼ぎで家計をやりくりする、どこにでもいるちょっと肥満な専業主婦。私も入れて3人家族は仙台の6畳一間で貧しいながらも、まあまあ幸せに暮らしてた。
父が休みの日には街中の朝市に連れて行ってくれたり、母方のお姉さん宅に遊びに行ったりした。
仙台市郊外には母親の両親が住んでいて、私から見てのお婆ちゃんは脳梗塞の後遺症で、杖を突かないと家の中も移動できないくらい弱っていたしおじいちゃんも高齢だから定期的に祖父母の家を訪れては食料の買い出しを手伝った。
私は子供ながら、祖父母の家に連れていかれるのが毎回億劫だった。
あの家にはマルチーズの老犬、『チビ』がいる。毛がモサモサで、じいちゃんのタバコのヤニが染みついて黄色い毛色をしている。誰にでも吠えるしお菓子の袋の音を聞きつけてはひざによじ登ってくる。
家の床には渋ピンク色の絨毯が敷いてあるけれど、チビの毛が張り付いたまま何年も放ってあるから絨毯も黄ばんでいる。あの家から帰ってきたらすぐに靴下を脱いで捨てなきゃならない。
チビのせいだけでなく、じいちゃんもばあちゃんも何週間も風呂に入らないもんだから体臭がきつい。あの家で着た洋服は2度洗わなきゃいけない。
私が祖父母の家に行きたくない理由はもう一つ。
彼らの家から帰ってくる道中、車の中でいつも母に聞かされるんだ。
「私の小さい頃はさんざんあのババアに虐められたわ。あの女はいつも私ら姉妹の前で美味そうなお菓子食いやがってや~。絶対私らによこさないで、こっちが羨ましそうに見てると棒で殴りかかってきてや。温かいご飯も食わせてくれねで。いつも冷や飯に水かけて食わされたもんだわ~。」
そんなフレーズを今まで何百回聞いただろうか。耳に胼胝ができる。
婆ちゃんは私の母親の生みの親ではなかった。
じいちゃんは昔役場に勤めていて、私の母の産みの母との間に子供を4人儲けた。私の母は末っ子だ。
時期は不明だが、その後じいちゃんは子供を産んでくれた女性を家から追い出し、婆ちゃんと結婚したそうだ。婆ちゃんは実の子でもない子供たちに愛情を感じなかったのか、彼らに冷たく当たっていたらしい。
じいちゃんも彼女の虐待ともとれる態度を見て見ぬ振りをし続けた。
そう、私の母親=毒親の両親も毒親だったんだ。
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