吃音の私が自分を認めてあげたら人生が変わった話 1

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2009年冬、いっこうに終わらない就職活動に私は焦りと苛立ちを感じていた。


大学を卒業後、夢に破れアメリカに約1年留学をした。

小さいころからパイロットになりたかったのだが夢かなわず、

やりたいこともないので就職せずに留学しようと思ったのだ。

アメリカではいろんな人に出会いいろんな刺激を受け、

早く社会に出て働きたい!という気持ちが強くなっていた。

そして帰国後アルバイトをしながら就職活動を始めたが、


完全になめていた。


と、言うよりも、

自分のあまりの不甲斐なさに絶望すらも感じた。



面接が通らないのだ。



それは当たり前だった。


なぜなら、


喋れなかったからだ。


何も伝えられない。



どもってしまうのだ。



そう、


私は吃音なのだ。


今でもはっきりと覚えている。


・・・


小学校2年生の国語の授業。

もう授業も終わる2分前。

「らりるれろ」が言えなかった。


先生が何か質問をして、

まわりのみんなが一斉に手を挙げる。

つられて私も手を挙げる。

そうしたら、先生に当てられた。

答えはわかっていた。

どんな質問だったかは忘れてしまったが、

答えは五十音の「ら」の行だ。

急に当てられて動揺した。

というか、

その当時1年生の時大好きだった担任の先生が学校を変わってしまい、

それと同時に周りの友達の態度もどこか変わってしまったように感じて、

どこか寂しくて情緒が不安定だった。


そして、

私は、


ひどくどもりながら答えた。



「っらららっらら・・・りっりっっっっ・・っるる・・・・れっれれれ・・っっろろろ」



クラス全員が笑っていた。

先生も笑っていた。

みんなに笑われた。。。


自分でも何が起こったのかさっぱりわからなかった。


ただ、

恥ずかしかった。


あの時の感情は20年近く経った今もはっきりと思い出せる。

とにかく恥ずかしかった。

誰とも顔も合わせられない。

それ以後、性格もすっかり引っ込み思案になってしまった。






あれから15年。

私は吃音を引きずったまま大人になり、

社会人になるための「就職」という時期を迎えた。


学生時代吃音のせいでずっと暗かったのか?と言われれば、

そうではない。

根っからのポジティブ思考と目立ちたがりな性格で、

できるレベルでの自己表現はしてきた。

友人とギターをもって路上ライブをしたり、

大学では40名ほどのサークルの部長も務めた。

アメリカへ留学中現地で働いたこともある。


「吃音」というコンプレックスをもっていたが、

「そんなもんに負けてたまるか」

という気持ちが強かったのだと思う。


だが、人前でしゃべったり、

特に学校での授業で当てられて答えるとか、

教科書を読まされたりすることは、

ずっと苦手だった。

「恐怖だった」と言った方が正確だろう。


極度に緊張してしまい始めの1文字が発音しづらい。

いわゆる吃音の中でも「難発」というやつだ。


何度も笑われた。

「今月はこれで2回笑われた」とか

「あ~このクラスでもどもるのがバレた」とか

その場から逃げ出したくなる思いは数え切れないくらいした。

あの恥ずかしさは慣れることがない。

まわりから奇妙なものを見るような視線。

どうしようもなく自分がみじめに思える。

親には申し訳ないが、

自分なんて生きてる価値なんかあるのか?

とさえ思ったこともあった。

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