塾講師として、ボクがしていること

1 / 2 ページ

 「塾講師として、ボクがしていること」

 ここは、三重県の北部。鈴鹿山脈の麓の農村地帯だ。田は一家を支える大切なものだが、塾生のBくんの父親は田を一枚売却して大学の授業料を捻出した。Bくんは、その事実を知っていて猛勉強していた。国公立でないと、授業料を払えないからだ。

  そんな時、ある子はプレッシャーに負けたり、性格が歪んだりする。しかし、Bくんは、そういうタイプではなかった。誰を責めるでもなく、ただ一心に勉強していた。

   Bくんのような立場の子を多く預かっている以上、私は適切な学習環境を提供して授業水準を維持する責任がある。

 中学生にもなると事情は変わる。ヤクザのような子と「仲良くしなさい」と強制され、着たくもない制服を強制され、したくもないクラブを強制され、やりたくない宿題を強制される。

 いじめる側と、いじめられる側を同じクラスやクラブに放り込んだら殺人も起こる。アメリカのように、授業毎に移動しクラブの出席を自由にする学校があってもいい。学区を外して、学校を選択させた方がいい。

 私はアメリカに住んでいた時に、怒った記憶がほとんどない。最初こそ、無料のパーティなどに招待されると「洗脳しようとしているのか?」と身構えたが、すぐにそれが誤解だと分かった。

 怒る必要がなかったのは、ユタ州が末日生徒キリスト教会の会員が多いことに関係していたと思う。そもそも敵国として戦っていた日本人の息子である私を受け入れてくれたホームスティ先のブレアーさんは人格者だった。

 父は学歴にこだわる人だったので、末っ子の私が四日市高校や名古屋大学に合格していったのは、嬉しかったに違いない。英検一級、通訳ガイドの国家試験に合格した時に「英語は終了」と思った。高校数学を京大二次で7割とって「高校数学は終了」と思った。

 私は、父の期待に応えるつもりはなかった。ただ、野心があっただけだ。

 この辺には、英検1級を持ち、京大二次試験で英語8割、数学7割とれる塾講師は少ない。だから、Bくんタイプの子は、「どうすれば、そんな学力が身につけられるのですか?」と方法論を尋ねてくる。私は全て話してやる。

自分に子供ができて考えが変わった。できることなら、親の期待に応えてやって欲しい。

 帰国後の、厳しい塾間競争の中で、私はアメリカで身につけた生活態度を維持できなかった。ある日、電話があり母親らしき人が、こう言った「高木さんは、塾をやめるのですか?さっき、X塾の人がみえて高木塾は閉鎖するから、こちらに移って下さいと言われました」。

今は、娘たちの期待に応えてやりたいと考えている。

この頃に気づいたことがある。地元の東員第一、第二中学校、北勢中学校、藤原中学校、員弁中学校、大安中学校、陵成中学校、光陵中学校のトップグループの子がたくさん来てくれている。四日市高校国際科、桑名高校理数科の子も来てくれている。

みんなの読んで良かった!