1981年、「尾崎豊」的心のKくんのこと。

 1981年、「尾崎豊」的心のKくんのこと。

 

 名古屋大学を卒業して、私は愛知県の刈谷市で塾講師を始めた。その頃は、不登校の生徒が増えて社会問題化していた。Kくんも、その1人だった。私の担当していた上級クラスの生徒だったから、成績は良かった。

 いや、良すぎた。

子どもたちの集団離れ (田中治彦)

 1980年代前半、YMCAやボーイスカウト、児童館、青年の家といった青少年健全育成団体の発信する、"忍耐""団結""奉仕"といったメッセージは子どもたちの心に届かなくなった。これらのタイプの運動は行き詰まり、子どもたちの集団離れが起こる。その結果、不登校という現象が出てくる。

 彼を気に入っていたのだが、他の先生方は、「Kくんのクラスの担当だけは嫌です!」と毛嫌いしていた。それは、彼が「先生は、中京大学卒でしょ。ボクを指導するだけの学力がない」と講師をバカにする傾向があったからだ。

 彼は、学校でもトラブルを起こしていた。当時、愛知県には「中統」という模試があった。Kくんは、この模試では常に校内で1番であったのに、校内テストの結果はボロボロだった。「学校のテストは、入試の傾向にもレベルにも合っていないから、やる価値がない」と言ったそうだ。

 もちろん、家庭訪問でこってり文句を言われたそうだ。親はオロオロしていたそうだが、Kくん本人は何にも気にしていない風だった。

 Kくんは、テニスも上手だったらしく愛知県の大会でも上位に食い込んでいると聞いた。ところが、彼は顧問の先生に「先生は、テニスの素人じゃん」と言い放ったそうだ。トラブルになり、退部したらしい。ちょうど、中学3年生で引退直前だったから、目立たずに処理されたと噂で聞いた。

 そんな彼は、卒業直前に不登校になった。そして、塾の授業が終わったら、私のところにやってきて、こう言った。

「タカギ先生。ボクの家庭教師になってもらえませんか?塾は今月でやめます」

 私はビックリした。塾生でなくなれば、私が塾の勤務時間外に教えてもいいのかもしれないが、塾長には話せない。彼は、中学生のくせにどう調べたのか知らないが、義務教育では落第がないとか出席日数は満たしているとか言って、「もう学校も塾も行かない」と言った。

 結局、私は彼の家庭教師を引き受けた。彼は、刈谷高校に合格した。刈谷高校というのは、今年(2016年)東大13名、京大17名合格の愛知県では有数の進学校だ。

刈谷高校は名古屋大学合格者数では愛知県トップです。いや全国一でしょう。昔々愛知八中と呼ばれ、名古屋大学は旧制八高です。名古屋市のマークは丸に八です。名大は刈高でもつの自負心でしょうか。

 その後、私はアメリカに渡ったのでKくんがどうなったのか知らない。彼が私を家庭教師に指名したのは、名古屋大学卒で講師の中で学力が一番高かったことだけではなくて、「必ずしも、教師の言うことに耳を傾ける必要はない」という、彼の理解者だからだったと思う。

 実は、自分も中学3年生の夏休み前に、学年主任に「夏休みの課題の問題は役に立たないと思うので、自分で問題集を選んでやりたい。提出しなくていいですか?」と言った過去がある。私は、中3の夏休みの課題を提出していない。

 私の勤務していた、ユタ州のローガン中学校は午後2時半になると消灯で真っ暗。生徒も教師も、みんな帰宅。掃除係のジョージだけが、残っていた。クラブ活動などなかった。

 Kくんが、アメリカの中学校に通っていたら何の問題もなかったと思う。アメリカでは基本的に「思ったことを口にしても構わない」という表現の自由が保障されていたからだ。

 職員室でも、若い教師に向かって「最近の若い教師はなっとらんねぇ」と、面と向かって話していた。ケンカ腰ではなく、淡々と話していた。生徒会でも、ベストスマイリングガールとか、一番嫌われ教師とか、みんなの前で発表していた。

 Kくんのように「学校のテストは、入学試験の傾向に合っていません」と言うのは問題ない。ただ、「そのとおり。受験準備は、別のところでやりなさい」と指示されるだけ。事実は、事実。主張は、主張。本当のことを口にして、何が悪い。

 帰国後に、自分の塾を始めたときも、私は自分のやり方を変えなかった。

 「学校の英語の先生と発音が違う」と生徒に言われたら、怒りはしない。「どちらを信用するの?」と尋ねると、「分からない」と言うから、分からせる方法を考えた。生徒が一番信用するのは何か尋ねたら「英検かも」と言う。

 それで、英検1級、通訳ガイドの国家試験などに合格してみせたら、「学校の先生より信用できるかも」と言ってもらえるようになった。

 「先生は名古屋大学卒だけど、本当に京都大学に合格できる英語や数学の力があるの?」と尋ねられたときも、怒らない。当たり前の疑問だからだ。だから、50代で京大を7回受けて、研究した。成績開示したら、英語8割、数学7割だったので、納得してもらえた。

 すると、Kくんと似たタイプの生徒が集まりだした。Mくんは、塾に来た初日に、隣の女子に「どうして、これが解けないの?」と言い放った。私は驚いた。バカにしているのではなくて、純粋に不思議なのだ。

 でも、隣の女子はしばらくすると塾をやめてしまった。

 Hさんは、私に

「先生、恋愛の感情って、DNAが種の保存のために命令しているだけですよね」

 と尋ねてきた。私は、そういうタイプの生徒の扱いに慣れているというか嫌いではないので、自分の私見を伝えておいた。いずれにしても、中学校では「変人」扱いを受けている子だった。

 四日市高校なら、このタイプの子は珍しくないし、ローガン中学校なら変人扱いなど受けるわけもない。Hさんは、旧帝の医学部に合格した。

 現在のことを書くと、人物が特定されるので書けないが、今もそういう子がいる。私は、そういう子を変人と感じないので、向こうも安心するのだろう。逆に、多数派の子たちから「先生は、変人」と言われてしまうが。

 「変人」とは、なんだろう?それは、多数派の言うことに疑問を呈し、果敢に常識にチャレンジする子だと思う。私が北勢中学校の頃は、男子は丸坊主が常識だった。小学校を卒業すると、強制的に全員頭髪を丸坊主にさせられた。

 そんなやり方は、独裁国家のやり方。

 三重県は、47都道府県の中で「日教組」の組織率が100%というダントツの1位の県だ。勉強ができる子は、できない子に教えるのが常識。それも、班を組ませて強制的に。

 もちろん、クラブは強制。制服も強制。学力差など無視して、全員同じ宿題も強制。そんな環境では、Kくんタイプの子でなくても、息苦しいこと、この上ない。

 卒業(尾崎豊)1985年

 行儀よくまじめなんて クソくらえと思った 夜の校舎 窓ガラス壊してまわった。
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

 信じられぬ大人との争いの中で 許しあい いったい何 解りあえただろう うんざりしながら それでも過したひとつだけ 解ってたこと この支配からの 卒業。

 落ちこぼれも、浮きこぼれも、学校などクソくらえでいい。アメリカの中学校のように、午後2時半には消灯にして帰宅させればいい。クラブなし、制服なし、宿題なし。

 強制的にヤクザみたいな生徒と、研究者タイプの生徒を同じクラブに放り込むから、イジメが起こる。アメリカの中学校のように、クラスも解体して、大学のように授業毎に教室を移動する方がいい。

 左翼の先生は、激怒するだろうが関係ない。

 問題は、学校だけではない。私のいる受験産業も、問題だらけだ。私は、名古屋の7つの大規模塾で14年間勤務経験がある。多くの講師を見てきたが、Kくんが見たらあきれ返る講師がたくさんいた。

 だいたい、四日市高校が落ちた講師が、四日市高校受験生を指導するとか、英検2級の講師が、1級の生徒を指導するとか、おかしいだろう。学校の授業がダメなのに、教師を退職した講師って、どういうこと?

 学校の同じ授業を、DVDや動画で見せて「最新式のコンピューター施設」なんて、呆れられても当然だ。暴走族講師とか、ヤンキー講師など、もってのほか。パフォーマンスは要らない。

 でも、一番の問題は感情的な講師が多すぎること。生徒に、「先生ではボクの指導は無理」と言われて、冷静に対処できる風土が日本にはない。そういう対処ができる教師、講師はほとんどいない。

京都府宇治市の学習塾「京進宇治神明校」で同市立神明小学校6年の堀本紗也乃さん(12)が刺殺された事件で、逮捕されたアルバイト講師で同志社大4年の萩野裕容疑者(23)=同市寺山台=が宇治署の調べに対し「日ごろから相性が悪く、一対一になった時『あっちに行って』と言われ、カッとなってやった」と供述していることが10日、分かった。

 偏差値追放、業者テスト追放のやりすぎで、昨年(2015年)三重県唯一、最大であった業者テストだった「三進連」が倒産した。これで、現在中学3年生の受験生は、他校との学力比較はできない。学校では、競争をあおると学力順位は隠蔽されたままだ。

 これで、どうやって受験校を決めろと言うのか!落ちてしまうではないか。 これで、地上の楽園が完成したと喜んでいる教師がいる。ふざけるな!!ここは、北朝鮮か!

こんな三重県に生まれなかったら・・・

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