【忘れられない誕生日:前編】9.11の時、アメリカのとある空港にいた1人の女の子(私)の話。

前編: 私がSTORYSをはじめたきっかけ。
後編: 【忘れられない誕生日:後編】9.11の時、アメリカのとある空港にいた1人の女の子(私)の話。

これは9.11の時、アメリカのとある空港にいた1人の女の子(私)の話です。前後編あり、文章の最後に後編へのリンクをはっております。どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

0.【はじまりはありえない3つの偶然】

話は今からさかのぼること15年前、2001年のお話です。私は、当時21歳。大学を休学しアメリカミシガン州のアナーバーというところに留学をしていました。その留学の最終日、つまり帰国の日がこのストーリーのはじまりとなります。


偶然その1:帰国日の変更につぐ変更

そもそも私の帰国日は、2001年10月17日でした。4月から行ったのでちょうど半年間の留学です。それが、ある時からとても楽しかった留学生活だったにも関わらず、

tomo
「9月には日本に帰りたい。」

と思うようになったのです。

そこで、私は帰国日を1カ月はやめることにしました。

ただ、帰りにニューヨークを旅行して帰りたかったので、9月10日に国内線でニューヨークに向かい、9月17日にニューヨークから日本に帰る便を手配しました。この時点で、友人と両親にこのことを手紙で出しました。

しかし、9月に入ってからは、

tomo
「9月10日に日本に帰りたい。」

なぜか今度はそう思うようになって、9月10日のアトランタ経由成田空港行きの便を新たに手配しました。この行動は「なんで?」と聞かれても今もよくわかりません。とにかく、私は9月10日の早朝便でアトランタに向かうことになりました。


偶然その2:スーツケースのオーバーウエイトと赤い封筒

デトロイトの空港で、チェックインしようとすると私のスーツケースは本が入りすぎていてオーバーウエイトでした。そこで、空港の方が出してくれた段ボールに本をつめかえました。この時、空港に見送りに来てくれていた友人が赤い封筒の手紙をくれました。ちょうど、パスポートと同じくらいの大きさの赤い封筒。ここで私は、なんとこの封筒とまちがえてパスポートを段ボールに入れてしまったのです。もちろんこの時は気がつかず、チェックインもすませ飛行機に乗り込みました。


偶然その3:台風によるアトランタ⇒成田便の欠航

無事アトランタに到着。しかし、そこで知らされたのがこの日のアトランタ⇒成田便が台風の影響で全便欠航だということ。ここで私はアメリカン航空からデルタ航空に変更され、まずシカゴに向かいシカゴから成田に帰ることになりました。実は前日までシカゴに遊びに行っていた私。すごい徒労感を感じつつ、シカゴ行きの便に乗り込みました。


さあ、3つの偶然によって私は2001年9月10日にシカゴ・オヘア空港にたどりつきました。本当はここでさくっと成田行きの便に乗り込んで帰国となるところだったのですが…。国際線に乗る際、どこを探してもパスポートがないのです。それもそのはず、段ボールに入っているのですから。ただ、そんなこととは考えつかない私は大パニック。もちろん、飛行機にはのせてもらえず、空港の怖いおばさんにつかまっておどされました。

どこかで落としたと思ったので、広い空港を何往復もして探しました。疲れ果てた頃、小さいバッグの中に赤い手紙があることに気が付きました。

tomo
「あれっ?あの時段ボールに入れたはずなのに…、あっ!」

ここでやっとパスポートが段ボールにあることがわかりました。少しほっとしたものの、この状況を誰にどうやって伝えたら段ボールを出してもらえるかが分かりません。しかも、こんな複雑な状況を説明できるほどの英語能力もありません。当時はスマホもありませんし、携帯も海外対応のものは持っていませんでした。

まずは、デルタ航空のカウンターへ。そして、アメリカン航空のカウンターへ。いわゆるたらいまわしです。挙句の果てには、「たぶんあなたの荷物だけ成田にいっちゃてるわよ。」なんてことも言われる始末。朝4:30にデトロイトの空港に到着してから12時間以上がたち、2回のフライトと空腹でもうへとへとでした。泣きそうになりながら、顔をあげた先に赤い電話がありました。いわゆるエマージェンシーコールです。


tomo
「これは…。」


「これは、エマージェンシーだ。」

そう思った私は、すがる思いで電話をとりました。

女性の声で事務所に来るように言われたので、その場所に行きました。この女性が本当に神対応だったのです。私の状況をきちんと聞いてくれました。今までパニックでしっかり話せていなかった私も、可能な限りの英語で冷静に自分の状況を伝えることができました。

すると、彼女はバゲッジクレームに電話をして、

神対応の女性
「今から女の子が行くから対応してあげて。かなり英語が話せるから、ひとりで行かせるわね。」

と言って私にウインクしました。

バゲッジクレームに行くと、「今出すから待っていてね。」と、やさしく対応してもらえました。そう、英語が話せるか話せないかでこんなに対応が違うのです。正直、この1日で窮地に追い込まれたことで火事場のバカ力的な潜在能力が発揮されたと思います。自分でも日本語で考えるより先に英語がでていてびっくりしました。20時過ぎ、無事荷物が出てきて、パスポートも確認できました。そして、バゲッジクレームの方が、もう成田行きの便はないからと、次の日の11時の便への変更と、半額で空港からバスで少しのホテルを手配をしてくれ、サービスでホテルの夕食券をくれました。

ホテルにバスで向かい、無心で夕食を食べて部屋へ。とんでもない1日だったと思いました。でも、パスポートも見つかったし、明日は帰れる。この時は、そう思っていたのですが…。


1.【偶然は3つで終わらなかった】

あれだけ9月10日に日本帰りたいと思っていたのに帰れなかった私。

翌日、9時半には空港に着きたかったので、9時前におきて支度をしていました。9時を少し過ぎて出発前にテレビをつけました。すると、ビルがうつっていて煙がもくもく出ています。ほんと、テレビをつけた直後でした。飛行機がビルに直撃。「何の映画だろう?」と思いつつ、無視できないLIVEの文字。あまりにも衝撃的すぎて、現実を認識する前に、

tomo
「LIVEって私が知ってる以外にも意味があるのかな…。」

などとまわりくどいことを考えてしまいました。

とにかく、荷物を持って外に出ました。この時はまだどこで何が起きているかはわかりません。ロビーがごったがえしているのを見て、ただごとじゃないと思いました。チェックアウトしつつ、ホテルの方にどうすればよいか聞くと「とにかく空港に行ってみて。飛行機が飛ばなかったらチケットを更新してもらった方がよいわ。」とのこと。そのまま空港に向かうことにしました。

tomo
「今日も帰れなくなる?ウソでしょ?まさかこんなことってある?」

そんなことを送迎バスの中で思っていました。

空港のカウンターで聞くと、

tomo
「次の便にチケットかえてください。」
航空会社の女性
「今日はもう飛ばないから明日のチケットにかえておくわね。」
tomo
「え、全便?」
航空会社の女性
「ええ。テロだから…。」
tomo
「テロ?」

テロって、あのテロ?

もう何がなんだかわかりませんでした。



今日はパスポートもきちんとあるのに、まだこの空港から出してもらえないみたいです。ただ、昨日のことがあったのでだいぶ冷静に状況把握をすることができました。いろいろカウンターのお姉さんと話していると、「日本の家族に電話したら?」と、カウンターの電話を貸してくれました。そう、家族は私がニューヨークに10日に行くという手紙を受け取っているので、ニューヨークにいると思っているのです。両親にシカゴにいろいろあっていることを伝えると安心してくれました。日本でも大きなニュースになっているみたいです。

さて、次はホテルを手配しなくてはいけません。空港におかれているパンフレットを片手にかたっぱしから電話をかけたのですが、どこも予約いっぱいです。留学先からは車で5時間程度なので誰かに迎えに来てもらうこともできますが、なんだか帰らなくてはいけないと思っていました。なんでしょう、ここまでくると自分が試されているような気がしてならなかったのです。

必死でホテルに電話をかけていると、後ろから日本語で話かけられました…。


2.【空港から出られない!】

ホテルの予約をとるために必死に電話をかけていると、日本人のおじさま2人に声をかけられました。

どう見ても普通のおじさんではありません。一言でいうと業界人というかんじです。お仕事でシカゴに来ていたそうで、英語が分からないから状況を教えてほしいとのことでした。私自身も詳しくは分からないけど、テロがおきて全便が欠航となったこと、チケットを更新しておくと明日の搭乗がスムーズだということを伝え、カウンターで2人のチケットを交換してもらいました。

2人に今ホテルの予約で電話をかけているけどどこもとれないことを伝えると、とりあえずバーで1杯やろうということになり、それから数時間ビールを飲みながら無料のポップコーンを食べていました。

そうすると、まさかの事態がおこったのです。


空港閉鎖。

tomo
「え?私達まだ空港にいるよ。」

気付くと市街にでる道路が封鎖になっていました。

tomo
「ホテルを見つける前に市街にでておけばよかった…。」

そう思っても後の祭りです。


私はよっぽどここの空港に縁があるんだなとしみじみしつつも、深く考えるとゾッとしてしまいそうだったので、とりあえずビールを飲みました。するとおじさまの1人が「空港直結のホテルを見に行ってみよう。」と言うのです。先ほど私が電話をかけた時にはいっぱいだったので、半信半疑でついていきました。

オヘア空港には、空港直結のヒルトンホテルがあります。聞いてみると、なんと空室ありとのこと。

tomo
「なんで、ここがあいていると思ったんですか?」
おじさま
「空港閉鎖で飛行機が到着しないし、市街からも入れないからその分大量にキャンセルがでると思ったんだ。」

とのこと。

さすがだなと思いました。私1人だったら、空港で寝泊まりしていたかもしれません。

今さらですが、私達は空港に居てよかったのでしょうか(笑)

2部屋のうち1部屋を私に、残りの1部屋をおふたりで使うことにしてくれました。これは、通訳として頑張らなくては。おふたりは、会社も立場も違うお仕事関係の間柄だったのです。今の自分だったらその関係で相部屋というのが大変な状況だとよくわかるのですが、当時は社会人の関係性など分からないので2人はなかよしだと思っていたし、単純にキングベッドのお部屋をあたえられ上機嫌になっていました。

なにはともあれ、ホテルにチェックインし、ほっと一息です。


★後編へ続きます★

↓↓↓

https://storys.jp/story/22263

続きのストーリーはこちら!

【忘れられない誕生日:後編】9.11の時、アメリカのとある空港にいた1人の女の子(私)の話。

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。