人生3回の転機が教えてくれた最高の生きる理由〜知的障害のある長男の出産、夫の突然死、自身が下半身麻痺に〜(3)可哀想なお母さんになった日
誰からも「おめでとう」を言われない出産
長女・奈美が生まれて4年後、長男・良太が生まれました。
妊娠7ヶ月目から切迫流産と診断され、家で寝たきりの生活。やっと良太と会えることが、私は嬉しくて仕方ありませんでした。
分娩室で二度目の出産。
けれど、一度目とは決定的に違うことがありました。
良太が元気よく産声をあげた瞬間、周りの先生や看護師さんからは「おめでとう!」「頑張ったね!」などの言葉は一切なく。
ただ、沈黙のみです。
朦朧とする頭で最悪の状況を覚悟しましたが、確かに良太は元気に泣いているのです。
しばらくして看護師さんがぎこちない笑顔で「男の子ですよ」と言ってくれました。
当時、主人は分娩室の外で待っていたようですが、良太が生まれた後、主人を呼ぶ前に先生たちがバタバタし始めたので、何かおかしいと思っていたようです。
でも、その理由は誰も教えてくれませんでした。
1000人に1人、ダウン症の良太
出産2日後、不安にしびれを切らした私は看護師さんの腕を掴んで言いました。
「あの、私の赤ちゃん、何かおかしいんですよね?」
するとまだ若いその看護師さんは「もう先生から説明があったんですね」と答えました。
私の表情がこわばるのを見て、看護師さんは「しまった」という顔をしました。
でも私は意を決して、どんな説明でも良いから話してほしい、とお願いしました。
案内されたのは誰もいない、空いた病室。
二つ並べられたパイプ椅子に主人と座って待っていると、小児科の先生が入ってきました。穏やかな雰囲気の、男性の先生でした。
「お母さん。あのね、ダウン症っていう障害は知ってる?」
後から本を読みあさって学んだことですが、ダウン症とは生まれつきの知的障害です。
顔つきに特徴があり、赤ちゃんでも見た目でわかることがあります。
染色体の異常により、精神発達の遅れや、運動能力の低下など様々な合併症が起こります。
「ダウン症は成長しないと障害の程度がわからないからね。皆と変わらずに過ごす子もいれば、ずっと寝たきりの子もいる。一生介護がいるかもしれない」
「介護、ですか……。それは治るんですか?」
「残念だけれど、普通の子にはなれない。諦めてください」
先生の説明はゆっくりとしているのに、ちっとも頭に入ってきませんでした。
私がお世話になっていたのは小さな病院で出産の数もまだ少なく、良太は創立以来2人目のダウン症児だったそうです。
だからこそ、対応も説明も不慣れだったのだと今では納得がいきます。
「念のため染色体の検査をしてから正式にダウン症と診断になるから」という先生の説明に、私は「もしかしたら間違いかもしれない」と願わずにはいられませんでした。
しかし、結果はやはり変わりませんでした。
かわいそうなおかあさん
入院中、なぜか牧師さんが病室にやって来ました。
「これも神の思し召し、困ったことがあれば祈りに来てください」と言われました。
次に名前も顔も知らない保健婦さんがやって来ました。
「神様は、乗り越えられる不幸しか与えないのよ」
「障害のある子どもは、親を選んで生まれてくるから」
「かわいそうだけど、頑張るんだよ」
その時、ようやく現実を飲み込むことができました。
私は「かわいそう」なお母さんなんだと思い知らされました。
励ましの言葉、一つ一つがすべて辛かったことを覚えています。
私は普通に子どもを産んだだけなのに。家族と生きていきたいのに。
なぜ、慰められなければいけないんだろう。なんて答えればいいんだろう。
ダウン症は遺伝するものではないと一生懸命説明をしても「自分たちのせいだ」と落ち込んだり、「皆で一生懸命育てたら、普通の子に近づけるはずだ」と責任を感じてしまう親戚。
ショックで夜も眠れず、病院にいることが怖い日々が続きました。
周りのお母さんたちは「おめでとう」と祝福され、幸せなお産です。
私だけが違う。周りの人たちと比べるのが辛かったのです。
母乳も出なくなり、いよいよ母親として失格だと思いました。
親ならばこの状況を「辛い」なんて思ってはいけないと、覚悟していました。
それでも、日に日にかけられる励ましと哀れみの言葉が、私を「辛く」しました。
辛いと思ってはいけないのに、心の底で本当は辛く、ちぐはぐなのです。
ちゃんと育てていく自信が無い
障害について、詳しく調べることを辞めました。
可哀想な親子。一生介護がいる。普通にはなれない……私の中でダウン症のイメージは、周りの人からの言葉で形成されました。
ノイローゼ気味だった私は、とんでもないことに「看護師さんが赤ちゃんを取り違えてくれないかな……」と虚ろに良太を見つめていました。
良太なんていなければ良かったのに。そう思ってしまった瞬間、私は、私の気持ちについていくことができなくなりました。
そして私は病院を早々に退院して、主人に泣きつきました。
「辛い」
「ちゃんと育ててあげられる自信が無い」
「こんな母親じゃ良太がかわいそうや」
「良太と二人で消えてしまいたい」
「なんでこんなことになったんやろう」
胸の内に押さえ込んでいたどうしようもないことを、次々に吐露しました。
主人は黙ってすべて聞いてくれた後、涙でぐちゃぐちゃの私の顔をじっと見つめました。
「そんなにママが辛い思いをするなら、育てなくて良い」
優しかった主人のまさかの一言に、私は耳を疑いました。
「施設に預けることもできる。一人で育てなくて良い。ママさえ元気でいてくれれば、それで良いんや」
長女と長男の出産を、誰よりも喜んだのは主人でした。
温かい家庭を作ることが夢だった主人が、長男を施設に預けることを望んでいるわけがありませんでした。
でもその時、主人だけは私を問答無用で哀れんだりせずに、私の頑張りをちゃんと見て、認めてくれたことに気づきました。
未来が真っ暗だった私に対して、頑張って育てよう!なんとかなる!という言葉ではなく、長男への思いも堪えて、ただ一番に「ママが大事」だと言ってくれたのです。
理屈はありませんでした。
ただ私はその時、この人なら私を守ってくれる。私が良太を愛する限り、家族を守ってくれると確信したのです。
すぐに「ううん、私が育てる。育てるから」と主人に返事をしました。
これから多くの大切なことを教えてくれる良太との日々に、ちゃんと向き合って、私たちなりに生きていこうと決めました。
私はもう、「かわいそうなお母さん」ではありませんでした。
著者の岸田 ひろ実さんに人生相談を申込む
著者の岸田 ひろ実さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます