この手でぶん殴り、蹴っ飛ばさないと気がすまない

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この手でぶん殴り、蹴っ飛ばさないと気がすまない

  私は少林寺拳法のエキスパートではない。大学時代にクラブ活動で二段をとったものの、その後は自分で練習しているだけだ。それでも、40年も練習し続けてくるといろいろ分かってきたことがある。

  まず、格闘技だけれど先進国で現実に格闘を行う可能性はあるのだろうか。私は大学時代にグローブをつけて試合をした以外に、本当に人を殴ったことはない。防具の上から蹴っただけだ。

  平気で人を殴れるヤツは馬鹿だ。先進国で、暴力に訴えたら警察につかまる。私のような塾講師が暴力をふるったら社会的に葬り去られる。気にしないのは、ヤクザか暴力団だけだ。

  ヤクザと喧嘩するバカはいない。武器を持っているかもしれないし、持っていなくても、手段を選ばずに復讐する相手とケンカしても被害が大きい。つまり、格闘技は簡単に使えない。

  では、全く意味がないかといえば、そうでもない。アメリカで中学教師をするチャンスを得たのは英語力とともに日本の文化として拳法を紹介できることも関係があった。ローガン中学校では、舞台で演舞をさせられ、私はヒーローだった。

  帰国後、予備校、塾、専門学校で授業をする時も、役に立った。どんな悪い生徒がいても、イザとなったら力ずくで止めることができる自信があったので怖れる必要がなかった。私が怒鳴ると、たいていのワルは黙った。

  40年間も継続すると、身体に関心が向くために、食事や睡眠、休息などに配慮するし、運動が健康を与えてくれることを実感できる。飲酒や喫煙に近づかない生活は、少林寺拳法が与えてくれたと思う。

 ただし、そこで出会った人の多くは粗暴で知的ではなかった。

勝てばいいという考えで少林寺拳法をやっている人が多かった。それはそうなのだ。机上の空論だけで格闘技を語っても無意味だ。しかし、勝つことだけなら、剣や銃があれば十分だ。

  それが、私に「勉強」に向かうように背中を押した。

 

2chでボコボコにされた件(6000回以上再生)
https://youtu.be/QhLnsIohW5s    

  英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格し、京大二次試験で7割とれる数学力はついた。しかし、その学問自体が人生の目標を与えてくれることはない。ブルース・リーやジャッキー・チェンの映像や、北斗の拳のようなマンガも感動を与えてくれた。

  そのような感動が憧れを生み、力を与えてくれる。

  少林寺拳法が仏教と関わりが深い理由が、なんとなく分かる。私はクリスチャンで、毎日聖書を読んでいる。仏教とキリスト教は、世界三大宗教の二つだが、共通の部分がある。

  すなわち、「正直」「勤勉」「自由」「平等」などの理念だ。共通の価値観があれば、争いなど起こらないはず。人の手は、人を殴るためのものではないし、人の足は、人を蹴るためのものではない。

  私にとっての少林寺拳法は、そういうものだ。もちろん、拳法を使って、クマや牛に勝ちたい人はそうすればいい。人の可能性を示してくれるだろう。みんな違う。人それぞれだ。

  共産党が多くの国で政権をとれないのは、人それぞれの多様性を認めずに独裁をしようとするからだ。中国や北朝鮮を見れば分かる。自由と平等を重んじる人たちは、独裁者や強制を嫌う。

  勝てばいいだけのオリンピックでは、柔道もレスリングもテコンドーも、精神面が重視されない。少林寺拳法が精神面の教えを重視しているのは良いことだと思う。アスリートのドーピング、賭博、薬物などのスキャンダルが珍しくない。精神面をなおざりにした報いだと思われる。

  少林寺拳法の本部、四国の多度津で合宿したことがある。宇高連絡線で行った。岡山県玉野市宇野と香川県高松市とを結んだ旧国鉄連絡船だ。昭和63年(1988)、瀬戸大橋線の開通で廃止された。

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